愛原そよぎのなやみごと
雪瀬ひうろ
第一章
第1話
「何か、なやみごとでもあるのか……?」
それは一世一代の決心で振り絞った言葉だった。
放課後の教室。窓から差し込む夕焼けが見慣れた教室を赤く染め、世界をほんの少しだけ日常から切り離してくれる。どこか幻想的な紅い部屋の窓際に一人佇む少女。顔を伏せ、小さくため息をつく彼女を見た瞬間に僕は意を決して彼女に声をかけたのだった。
愛原そよぎ。
長い黒髪は、教室の窓から吹き込む柔らかな風に撫でられ、存在を主張する様にたおやかにうごめく。形の整った眉と長い睫毛に守られる大きな黒い瞳はどこか愁いの色を帯びていた。彼女はときどきこんなアンニュイな表情を浮かべることがある。気がつくと、僕はいつも彼女を目の端で追う様になっていた。僕に宿った恋心がそうさせているのだと気がつくまでには、そう時間はかからなかった。
クラスメイトでありながらまともに会話も交わしたことも無い僕が、いきなり「なやみごとがあるのか?」などという言葉をかけてしまったのも、彼女のどこか辛そうな顔を見ていられなかったからだ。僕の口から飛び出した言葉は、僕の心臓を煽りたて、暴れさせる。
僕の言葉を受けて、彼女は目を丸くしていた。それはそうだろう。会話したこともないクラスメイトに、いきなり話しかけられたのだ。至極当然のことだろう。僕の中で羞恥心がカッと燃え上がる。
反射的に逃げ出したくなる。だが、僕は両足に力を込め、まっすぐに彼女を見つめる。僕は彼女の返事を待った。
「私のなやみを聞いてくれるの……?」
立ち消えてしまいそうなか細い声が、僕の耳朶を打つ。
僕は彼女を見据えたまま、ゆっくりと頷く。
彼女は細く整った眉を少しだけ曲げて、力無く微笑む。
「でも、私の悩みは独特だから……渡辺くんに話しても理解してもらえるかどうか」
遠回しな断りの返事に、僕は一歩引きさがりそうになる。だが、彼女が僕の名前を呼んでくれた。名前を知っていてくれた。それだけを支えにして、もう一度だけ、そんな気持ちで僕は言う。
「愛原さんが嫌でなければ、相談に乗るよ」
彼女は目をぱちりと開いて、僕の目を見る。
「いいの?」
「ああ」
「私、滅茶苦茶変なこと言うよ」
「構わない」
「そう、じゃあ言うね」
正直に言って、何か計画とか考えがあったわけではなかった。ただ、僕は彼女に話しかけるきっかけが欲しかっただけなのだ。
だから――
「時を止める能力者にどうやったら勝てると思う?」
彼女のなやみごとがこれほど独特なものだとは、到底予想はしていなかった。
「えっと、ごめん……もう一回言ってくれる?」
何かの聞き間違いという一抹の望みにかけ、僕はもう一度問う。
「時間停止能力を持っている相手にどうやったら勝てるか」
やはり聞き間違いではないようだ。
「えっと……愛原さんは時間を止める相手に勝つ方法で悩んでたの?」
「そうなの」
まだ理解が追いつかない。
「えっと……ああ、漫画か何かの話?」
「あ!!」
彼女は突然声を上げる。
「も、も、もちろん! そう! 漫画! 私が考えてる漫画の話! 全く現実なんかじゃない! 痛い妄想だから!!」
「お、おう」
僕が彼女に抱いていたイメージは深窓の令嬢。こんなにも取り乱す愛原さんを見たのは当然初めてのことで僕は少しばかり動揺する。
「ああー、漫画のネタを考えて悩んでたんだ」
「そう! あくまで創作の話! 現実じゃないから!」
「う、うん。解ってるよ」
「私が実は魔法少女をやってて、実は夜な夜な悪い魔法少女と戦っている……とかでは、絶対にないから!!」
やばい、今、全部秘密を暴露された様な気がする。しかし、ここは気付いていない振りをしてあげるのが男というものだろう。
「漫画の話なんだよね」
「そう! 人に正体をばらすと魔法の力を奪われて、美少女じゃなくなる、なんていう事は無いから!」
「ああ、自分のこと、美少女だと思ってるんだ」
「ともかく、今から話す事は全部妄想だからね」
「……うん」
こうして、奇妙ななやみ相談は始まった。
愛原さんは教室の自分の席に着き、僕はその隣の席の椅子を借りて腰掛ける。
彼女は鞄から可愛らしいウサギのキャラクターのついたピンク色の手帳とペンを取りだし、僕に向き合う。
「で、時間停止だっけ?」
「そう。あくまで妄想だけど、時間を止める能力者とか反則じゃないかな? あんなの勝てる訳ないじゃん。強キャラの敵特有の『もっと私を楽しませなさい』とかいう謎の余裕で、見逃してもらわなかったら、昨日確実に負けてたね」
「ああ、漫画で何度もあると萎える展開のやつだね」
「だからこそ、対策を考えてリベンジしないと、妄想の話だけど」
確かに時を止めるなんていう能力はかなり反則級の力に思える。能力の詳細が解らない以上何とも言えないが、本当に時間停止が出来るなら、時を止めている間に心臓をナイフで一突きにすれば、どんな相手でも、ほぼ確実に勝てる事になるからだ。
僕はなんとか対策を考えてみる。
「何か自動で反撃できる物を仕込んでおくとか?」
「自動?」
愛原さんは首をかしげる。そんな動作ですら愛らしく思える。流石に自分で美少女と言うだけのことはある。
「たとえばだけど、爆弾を自分の身体に巻いとくとか。相手が時を止めている間に攻撃しても自動的に爆弾が爆発して相手に反撃できる」
「それだ!」
愛原さんは目を輝かせて席から立ち上がる。
「さっそく、爆弾買ってくるね!」
「待って、女子高生が一体どこで爆弾を買う気なの」
「え? 爆弾ってもしかしてコンビニじゃ売ってない?」
「コンビニに対する過大評価すごいな」
「ああ、じゃああれ。私知ってるよ。最近はネットで色々買えるんでしょ。アフリカとかそんな感じのとこで」
「たぶんアマゾンと間違ってるけど、流石にアマゾンでも爆弾は無理じゃないか」
「プライム会員でも?」
「企業名間違ったのに、なんでそんなシステムは知ってるんだ」
「そうか、爆弾ってその辺で売ってないんだ」
「うん、コンビニで爆弾が買えるほど、日本は世紀末じゃないよ」
「言いにくいんだけど、実は私って……」
「………………」
「少しばかり人より頭の回転がゆったりとしてるんだよ」
惚れた弱みがあるのでフォローしてあげたかったが、僕にも優しく微笑むのが限界だった。
「勉強も運動もできないし、料理とか裁縫とか女の子らしいこともできないし……」
「………………」
「……私、美少女であること以外何の取り柄もないんだ」
「ああ、その一点は揺るぎない自信があるんだね」
確かに、彼女は容姿に関しては完璧であると思う。
「だから、いつも戦闘中はごり押しでしか敵を倒した事無いの。なんか『うおおおおおおお!』とか叫んで、見開きページ使って、集中線にとり囲まれて、謎パワーで敵を吹っ飛ばす、みたいな倒し方しかした事なくて……」
「意外と熱い戦闘方法だな」
「だから、『時間停止』みたいなトリッキーな能力相手だとどうしようもないの……」
確かに、時間を止めてくる相手ならば真正面から打ち合っても勝機は薄いだろう。
「逆に愛原さんは何の魔法が使える……という設定なの?」
もってる武器が解らなければ対策も立てようがない。
「私? えっと……」
愛原さんは困った様に目を泳がせる。
「『運が良い』……らしい」
「『運が良い』?」
「なんかよくわからないけど『運が良い』って言われた」
つまり、今回の敵の『時間停止』に相当する能力が『運が良い』なのか。
「結構漠然とした能力だね」
「うん……おかげでいつきいてたのか、未だにわからない。狙って発動する能力じゃないっぽいし」
「
「そう、よくわかんないけど、たぶんそれ」
能力の任意発動が出来ない以上、対『時間停止』能力者に対する対策も、能力以外のところで考えなくてはならないっていうところか。
愛原さんが再び口を開く。
「ねえ、さっきの爆弾の件だけど、爆弾じゃなくても似たような武器があればいいんじゃないの?」
「まあ、そうだな。まず、爆弾だったらよくて相討ちだろうし」
「なんかほら、私に触れたら自動的に反撃する様にするとか」
「……どういうことなんだ?」
彼女の言わんとしている事が解らない。
「いや、だからね」
彼女は席から立ち上がり不意に僕の手を掴む。
「え?」
「こういう感じになったらさ――」
彼女は僕の手を掴んで、自分の脇腹に触れさせる。紺色のブレザー越しに彼女の温もりが伝わってくる。女の子に手を握られ、脇腹に触れさせられているという事実に気付き、僕の心臓が全力疾走の後の様に暴れ出す。
(やばい)
さすがにこれは興奮せざるを得ない。
彼女は言う。
「なんかバーンってなるとか」
「なに、バーンって」
「それは解らない」
「………………」
あくまで彼女の表情は真剣である。
彼女は僕の手を話して、再び椅子に腰かける。
僕は気を取り直して提案を続ける。
「まあでも、自動反撃って事で何か考えられるとしたら電撃とかか?」
「そう、それ。たぶん、それが言いたかった」
「本当かよ……。まあ、電撃発生装置も作るのは難しいだろうけど、まあやってやれない事は無いかもしれない」
スタンガンならば少しアンダーグラウンドなサイトを探れば有るだろうし、その電気を服の表面に流すこともワイヤータイプのスタンガンなどの応用と考えれば出来なくはないかもしれない。ただ、一介の高校生には難しいだろう。何より――
「でも、相手はそもそも愛原さんに肉薄してくれるのか?」
「『にくはく』……? ……ああ、おいしいよね、『にくはく』。私もよく食べるよ」
「知らない事は知らないって言える様になろうな」
にんにくあたりと勘違いでもしているのだろうか。
「要は相手は接近戦を挑んでくるのか?」
「ああ……そういや謎ビームを飛ばしてきてたね……」
「謎ビーム……」
「ゲームとかで必殺技のネタに困ったら『とりあえずビームだしとけ』みたいな風潮あるよね」
「否定はできないけども」
遠距離攻撃を仕掛けてくるのであれば、そもそも自動反撃という方法は難しい。自動反撃は基本的に相手の攻撃にカウンターとして合わせようという発想だからだ。こちらの身体に直接触れてくれなければ、電撃を流すことはできない。
「じゃあ、発想を変えて、相手に時を止めさせない様にしよう」
「どうやって?」
「時間停止能力の及ぶ範囲を見極めよう。時間の止まった世界を仮に停止世界と呼ぼうか。停止世界の中に入り込む『限定条件』を探すんだ」
「なるほどー」
「一番多く考えられる『限定条件』は接触だと思う。もっと厳密に言うなら接触といってもある程度質量がある対象に限定されるとか。じゃないと大気はどうなるのかが説明がつかないし」
「なるほど……」
「あるいは魔法を元にした力というなら概念的に対象を捉えているとも考えられるし……」
「なるほど……」
「………………」
「………………」
愛原さんのメモを取る手が完全に止まっている。
「愛原さん、理解できてる?」
「なんか難しい話をしているということはわかる」
「……つまり」
「つまり?」
「自分が触ってるものも一緒に時が止まらないと、全裸で動かないといけなくなるよねって話だよ」
「それは大変だね!」
愛原さんが、目を見開いて声を上げる。
「だから、予想だけど相手が時間停止を仕掛ける前に相手に密着してしまえば、愛原さんも時が止まった世界で動けるんじゃないか?」
「なるほどね、そっから美少女魔法少女同士のくんずほぐれつのキャットファイトに持ち込むわけだね」
「なんか反応がおっさん臭いけど、そういうことだな」
愛原さんはぐっと拳を握りしめて、不敵な笑みを見せる。
「これで勝てる!」
「いや、でも、仮にこの推測が当たってても、うまく相手に密着する前に時間停止されたらこの作戦は使えないよ。だから、相手の時間停止発動を見極める必要があるんだ。時間停止くらい強力な能力だったら強い『限定条件』がありそうだけど」
「『限定条件』ってなんなの?」
「能力を発動するための条件だよ。そういう条件がないなら、極端な話、ずっと時間停止しておけば無敵だろ? それをしないって事は、何か条件があるってことだろ」
「なるほどね」
「だったら『止めていられる時間は十秒で、連続使用不可』とか『止められる対象は自然物だけ』とか。あとは単純に莫大な魔力が必要とかね。あるいは特定の口上とか動作が必要っていうパターンも多い」
「口上? 動作?」
「なんか呪文を唱えるとか、指で印を組むとかだよ」
「も、もしかして、あれがその『限定条件』だったのかも……」
「何かやってたのか?」
「ラジオ体操を第一から第四までしていた……」
「いや、おかしいだろ。戦闘中だろ?」
「戦ってる途中に『激しい運動の前の準備体操が重要よ』って言って、やり始めた」
「その間に倒せよ」
「私も思わず一緒にやってしまった……」
「君は体を解きほぐすより先に頭を解きほぐした方がいいよ……」
「なんにせよ、ラジオ体操をやりきる前に倒せばいいということだな」
「よっし、これでリベンジできるね!」
と、霧が晴れた様に明るい表情で言う。
愛原さんは席から立ち上がって鞄を掴み、小走りで教室の扉に向かう。
「私頑張ってくる! あ、妄想の話だけど!」
「おう、お役に立てたならよかったよ、愛原さん」
今日一日で彼女の色々な面を知れた。いや、本当に色々な面を知れた。本当に。
それでも、僕の彼女への気持ちは変わらなかった。むしろ、もっと彼女への気持ちは強くなった。
愛原そよぎという女の子には、切ない表情よりも、今みたいな満面の笑みの方がずっと似合う。
彼女は教室の扉をくぐり、出て行った。
「ふう……」
溜息をついた瞬間。
がらりと教室の扉は再び開いた。
「言い忘れてた! なやみ聞いてくれてありがとう! またね、幸助くん! 私の事もそよぎでいいからね!」
僕の脳が再起動したのは、教室が闇に包まれてからであった。一体どれだけの時間、ここで呆然と立ち尽くしていたのだろう。
「全く時間停止でもさせられた様な気分だな」
こうして、僕とそよぎのなやみごと相談は始まったのだった。
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