第三章


 しばらくそうしていたが、拓真はやがて起き上がった。

「いこうか。そろそろ料理が出来上がる。母さんたち呼ばなくちゃ。」

 玲も起き上がって、うなずいた。

「ね、さっき言ってたお祭りって、どんなことするの?」

 玲は聞いてみる。

「派手な衣装つけて、とにかく歌って踊って…で、男たちはあれ、飲まされる。」

「あれ?」

「すげえ飲み物だよ。あれ飲まなきゃ、一人前になれないとか言われてさ…でも飲んだら仲間って認めてもらえるみたいだから、しょうがないから飲むけど…見た目泥水だし…。」

「泥が入ってるの?」

「泥じゃないけど、ある意味泥以上だな…。」

 ブツブツと言う拓真。そして、玲を見てにっこりと笑う。

「玲さんはさ、女でよかったよ。女はあれ、飲まなくていいもんな…。」

「そんなにすごいものなんだ…。」

「一口飲んだだけで、頭がぐるぐる回るしさ…、視界はゆがむし…。」

 玲は首をかしげる。

「アルコールみたいなもの?ヤシ酒とか。」

「そんないいもんじゃないよ…なんていうか、中毒性のない麻薬?ま、酒も飲んだことないから感覚わかんないけど、レノが酒とはまた違うって言ってたな。けして気分のいいもんじゃないよ。」

 詳しいことを聞きそびれているうちに、先ほどの小屋に着いた。火の番をしていたアロファが、こっちを見てにっこりと笑う。拓真はなにかアロファに話しかけて、玲を見て、

「ちょっと、僕、家族を呼んでくるから、アロファとここにいてよ。」

と言う。うなずいた玲を見て、にっこりとして拓真は去って行った。

 アロファに学校のことなどを聞きながら、玲はぼんやりと拓真のことを考えていた。…思ったよりも、ずっと明るく生きていたし、村にもなじんでいるようだ。

 けれども、隠そうともしない望郷の思い、そして、海の底に沈みたいという気持ち…。


 レノの家族は間もなくやってきた。先ほどと打って変わって、レノの母も満面の笑みを浮かべている。いろいろ島の言葉で話しかけてくれるので、アロファや拓真がかわるがわるレノの母の言葉を伝えてくれる。

「この魚はね、この辺でよく取れる魚。僕がさっき釣り上げた。」

 大きな葉でくるまれた食材が、次々とほどかれて、姿を現していく。拓真が釣り上げた鯛のような魚、芋のようなもの、バナナ、知らない木の実のようなもの…。

「玲さんが来るってわかってたら、子豚も料理すればよかったって、母さんが。」

「いいよ充分だよ。すごいご馳走だね。」

 この家族だけで食べるとは思えない量に、玲は目を見張る。

「これは島の伝統料理だよ。普段の食事は女が作るけど、これだけはだいたい男たちが前日に料理しておく。日曜日は安息日だから、料理しちゃいけないらしい。でも僕はクリスチャンじゃないし、教会も行かないから、家族が教会に行ってる間に、僕が料理しておく。やっぱり温かい方がおいしい気がしてね。」

 拓真が説明してくれる。

「教会に行かなくても、大丈夫なの?みんな行ってるのに?」

「仏教徒だって言ったら、納得してくれたよ。」

 拓真はいたずらっぽく笑う。

「一度、教会に行ってみたけど、牧師さんの説教はわけわからなくてあくびは出てくるし、讃美歌も退屈だ。だから、僕はもう行かないって、そう言った。」

「意外とはっきり言うんだね。」

 おかしくなって、玲は笑った。

「ま、こんなとこまで流れてきて、嘘をついたまま生きていたくないしね。」

 拓真の言葉に、また玲は黙った。どういう経緯で、この島で拓真が暮らしているのか、拓真の口からまだ聞いていない。本意ではなく誰かの船に乗せられたようなことをレノが言っていたが、詳しいことはレノも言っていなかった。

 蒸し料理は、ココナツミルクと塩で味付けがされているようだった。シンプルだったが、素材の味がして美味しい。ただ若干、玲にとっては塩分がきついものもある。

「飲み物って、なにかあるかな?」

 玲が尋ねると、拓真が一点を指さす。

「そこの炭酸水のボトル、飲めばいい。」

 部屋の隅に何点かガラスのボトルが積まれていた。

「サイダー?」

「サイダーって言っても、無糖だよ。この島の人たち、あれが好きみたいだね。水のボトルはないよ。」

「なんでもいい。」

 この料理に炭酸水が合うとも思えなかったが、この際、喉の渇きが癒せるなら何でもよかった。

「飲料水は全部サイダーなの?」

「まさか。朝、僕が泉に水汲みに行く。家の前に水瓶があるからそれを満たす。玲さんはそのまま飲まない方がいい。炭酸水飲むか、水は沸かして飲むんだね。」

 拓真に言われる。

「わかった。家の中で料理もできるの?」

「うん、かまどもあるし、ガスもあるからね。日曜日だけだよ、この小屋で食事するのは。」

「そうか…。」

 拓真とばかり喋るのは悪いな、と思うのだが、ついつい日本語を求めてしまう。それに、話をしたいと思っても、レノの母とは言葉が通じない。

「普段の日は、お母さんや拓真はどうしてるの?子どもたちは学校だろうけど。」

「僕は、朝、水を汲みに行ってから、コプラ工場の手伝いに行って、午後からは魚を釣ることが多い。」

「コプラ工場はどこにあるの?」

「玲さん見なかった、桟橋の近くにあったでしょ?」

「あ、あれか…。」

 なにか椰子の実のようなものが山積みにしてあった大きな作業場のようなものを思い出す。

「お母さんは?」

「母さんは、畑仕事をして、それからナマコ工場に働きに行く。玲さんは明日から、母さんの畑仕事を手伝ってから、僕の海釣りに付き合ってよ。どうせ、やることないでしょ?」

「うん、水汲みも手伝うよ。」

「ありがたい。結構道中長いから、話し相手がいると気がまぎれる。」

「…なにか、宿泊費みたいなの払った方がいいかな?」

「いらない。食べるだけなら、特にこの島、困らない。あえていうなら、桟橋のところの店で、パンが入荷したら買うとか、缶詰買うとかしてくれたらありがたいな」。

「そうか…じゃあ、お母さんの畑仕事の手伝いが終わったら、お店を覗きに行く。」

「そうだね。そしたら、僕の工場の手伝いが終わったら、一緒に帰れる。そうしよう。」

 なんとなくそんなふうに取り決めが終わり、そのことを拓真はレノの母に伝える。レノの母は大きくうなずいて、にこにこと笑った。

「畑仕事、手伝ってくれるのが嬉しいんだって。母さんも歳だからね。このまま島にずっといて、ほんとうにレノと一緒になってくれると嬉しいって、言われちゃったよ。」

 拓真がニヤッと笑ってそんなことを言うので、玲は戸惑う。

「えっ、だって、レノには彼女がいるんでしょう?」

「大丈夫、母さんだってわかってるよ。」

 拓真は真面目な顔になる。

「…ただ、この島の若者って、外に働きに行って、そこで相手を見つけて、そのまま帰って来ないことが多いから、レノもそうなるんじゃないかって、母さんは心配している。」

「そうなんだ…。」

 日本の過疎地と同じような現象が、この南の島でも起きているのかと、玲は思った。

「ま、二十年前のナマコショックが無かったら、この島もそんな心配とは無縁だったんだろうけどね…。」

 拓真はため息をつく。

「ナマコショック?」

「うん、長くなりそうだから、おいおい話す。またゆっくり聞いて。」

「わかった。」

 皆の食事もだいたい終わり、拓真がなにか言うと、みんなが一斉に片づけを始めた。まるで家長のようだ、と玲は拓真を眺めた。

 玲もみんなと一緒に片付けを手伝い、それが終わると、拓真は、

「じゃあね、玲さん、また明日。」

 とにっこりとした。…そうか、拓真だけ、あの海辺の家に帰って寝るのか…。少し心細い気がしたが、アロファがにっこりと人懐こい笑顔を見せて、玲の手にすがりついてきたので、少しだけ安心する。玲もアロファに笑いかけ、トイレに案内してもらってから、一緒にレノの家に帰った。

 夜になると、蚊が増えてきて、扉の前で蚊遣火のような焚火を、レノの母は燃やした。くすぶる煙が家の中に充満するが、それでも何匹かは蚊が残っているようだ。…当然のように、風呂は無い。家族はそのまま寝るようだ。玲は頼んで歯磨きだけさせてもらった。水瓶の水を掬う。意外にも島だというのに真水だった。

 家の中で、レノからのお土産を家族に手渡す。子どもたちには、ノートや鉛筆などの学用品、衣服、お母さんには、缶詰、スカーフ、やはりそして衣服。レノの家族を思う気持ちが、お土産の品から伝わってくる。…おそらく、レノはこの島を出るまで、父親のいないこの家庭で、家長のような役割だったのだろう。そして、その役割のなにがしかを、今は拓真が担っているのではないか、と玲は考えた。

 お土産を見せ合い、家族たちは嬉しそうに白い歯を見せて笑った。やがて、家族たちは床につき、アロファによって、おそらくレノの部屋と思われる場所に、玲は導かれた。

 大きな蚊音がするが、ベッドは蚊帳のようなものに覆われていた。玲は安心した。汗だくになっていたのに、体が洗えないのはつらいが、遠慮しながら水瓶の水を少し借りてタオルで首筋などをぬぐい、少しだけさっぱりとした。村のトイレも簡素だがあってよかった、としみじみと玲は拓真に感謝をした。

 ベッドに横になって、拓真の印象を思い返す。「海の底で、なんとか生きている」という葉書の表現からは、もっと陰鬱な少年を想像していたのだが、実際に会った拓真は生き生きとして、島の生活にもなじみ、家族の中で確かな役割を得て生きている。仕事も持っているようだ。しかし、まったく故郷のことを忘れているふうではなく、むしろ、懐かしくてたまらないところも隠さず見せている。

 わからない。玲はため息をついた。拓真が何を考えているのか…。

 しかし、そんなことを考えている自分を滑稽にも思えた。拓真の父に頼まれるでもなく、勝手に拓真に会いに来たのは自分だ。連れ戻すでもなく、ただ会いに来た自分の方が、拓真にとっては何を考えているかわからない存在だろう。

 考えることをやめて、玲は寝ることにした。考えることをやめる癖は、佐緒里と一緒に暮らすうちに自然に身に着いた。生きるための身の処し方の一つだった。


 早朝、窓の外からそっと拓真が玲を呼ぶ声がしたので、玲は目を覚ました。腕時計を見ると、朝の4時半だった。外はもう明るい。玲は服を着替えて外に出た。

「ごめん、早くてびっくりしたでしょう。」

 拓真の笑顔が明るい。

「水場は遠いから、母さんの朝の食事の支度に間に合わせようとすると、このぐらいの時間に起きないと間に合わない。早起き、玲さんは大丈夫?」

「うん。昨日早く寝たからね。大丈夫。」

「そう、寝れた?」

「良く寝たよ。」

「そっか、玲さんはたくましいな。僕は島に来た最初、まったく寝られなかった。外で豚や犬がひっきりなしに鳴いてるし、蚊はうるさいし…。」

「だいじょうぶ、私、施設育ちだし、その辺たくましいと思う。どこでも寝れる。」

 玲は笑って言う。

「施設育ち…。」

 拓真はそう言って黙った。少し混乱しているような顔をして、

「妹がいるって言ってたけど、妹も一緒の施設だったの?」

「施設で育って、その後、養女に行ったの。そこにいたのが佐緒里っていう妹だよ。」

「そういうことか…。」

 拓真はつぶやいて、水瓶に残っていた水を栓を抜いて捨てた。

「あ、残ってた水は捨てちゃうんだね。じゃあ、昨日遠慮しないで、もうちょっともらっておけばよかった。」

「うん、毎日替えないと、ボウフラが湧いちゃうからね。」

「そうか、そうだよね…。」

 夜半に列挙して押し寄せてきた蚊の大群を思い返して、玲はちょっと身震いがした。

「ベッドに、蚊帳がしてあって、助かったよ。」

「そっか、そうだね。あれもレノのお土産だ。僕が来たときには、あれもなかった。蚊帳があるといいねって話をしたら、レノが最初のお祭りの時に、持って帰ってくれた。」

「じゃあ、昨日安眠できたのは、拓真とレノのおかげだ。」

 樽のようなものを抱えて、拓真は水場があると思われる場所へ出発した。玲も拓真のあとをついていく。

「バケツみたいなものがあると、私も手伝えるんだけど…。」

と言うと、

「玲さんは取りあえず、今日は水場についてくるだけでいいよ。そんなに焦らないで。話し相手してくれるだけで、今日は充分。」

と拓真にあっさりと言われてしまう。

 舗装されてない赤土の道をしばらく二人で歩く。村を抜けると、少し急な上り坂になった。この道を毎日水を持って運ぶのは大変だろうな、と玲は拓真の後姿を眺めた。両肩の筋肉が盛り上がっている。

「毎日、水汲みなんて大変ね…。」

 後ろから声をかけると、拓真が振り返りもせずに肩を揺らして笑った。

「運動がてらだよ。もう慣れた。」

「ずっと、拓真がやってるの?水汲み。」

「レノが島から出てから、僕の役目だね。…ま、ソロファに任せてもいいんだけど、そろそろ。あいつももう十三歳だしね。」

 アロファによく似た、背の高いレノの弟は、玲と変わらないぐらいの大きさだった。

「でも、ソロファに任せたら、あいつはレノと違って面倒なことを嫌いそうだから、水汲みは村の井戸からしてきそうだ。」

 拓真の言葉に驚く。

「村に井戸があるんだったら、わざわざこんな遠くまで水を汲みに来るのはどうして?」

「村は、海に近いから、井戸水は塩が混じっている。僕は飲み水にはしたくないな。」

「そうか…。」

 玲は納得する。

「それに、こんな朝早くから水汲みに来る人もいないから、泉の水で水浴びできるのも、水汲みの特権かな。」

「ああ…そうなんだ。」

 拓真の生活の知恵に感心する玲。

「工場でもらった石鹸、持ってきた。玲さんも水浴びして行きなよ。昨日、シャワーも浴びることできなくて、不快だったでしょう。」

「…でも。」

 玲はためらう。

「大丈夫、僕は水汲みに二回は往復しないといけない。僕が最初に水を汲んで、家に戻ってる間に、玲さんは水浴びすればいい。早朝だから、誰も来ないよ。」

「ありがとう…。」

 随分と年下であるにも関わらず、拓真は繊細な気遣いをしてくれる。彼の生きてきたこれまでの苦労の半生を思い描いて、ふっと玲は胸が痛む。…最初は自分の母のために、そして今はレノの家族のために、彼は生きてきたのではないだろうか。周囲にさまざまな気遣いをしながら。

 泉には三十分ほどで着いた。

 小さな滝と、滝壺があり、美しい水が小さな泉にたたえられていた。周りの木々は、泉に近いためだろう。村でみるどの木よりも緑が鮮やかだ。日本では見たことのない背の高い木を玲は見上げる。

「綺麗な場所だね。」

「うん、いいところでしょ。僕、先に水浴びしていいかな?」

「どうぞ。」

 泉の脇にある平たい石に腰かけて、ハーフパンツの裾をまくり上げて、泉に足を浸してみる。冷たくて心地よい。長く歩いてきて火照った体が冷やされてゆき、ほっとする。

 拓真は上半身裸になり、持ってきた石鹸と布で体をこすり始めた。礼儀としてあまり見ないようにする。不意に南国の鳥が森から大きな声を上げて鳴きだすことがあって驚かされるが、滝の水音のほかは、拓真のたてる水音しかしない。

 不意に大きな水音がして、驚いてそちらを向くと、拓真が泉に飛び込んでいた。

「こっち見ないで。全身脱いじゃってるから」

 拓真がそんなことを言ってにっこり笑うので、玲は慌てて目を逸らした。

「もう大丈夫だよ。こっち見ても。」

 そう言われて、玲は目をそちらに向けると、いつの間にか上半身は裸のままだが、下半身は服を着用した拓真が、桶を持って滝壺の水を汲みに行っている。

 水を汲んできた拓真が、玲の近くに桶を置いて、

「ちょっと待ってね。」

と、腰に下げている袋を渡す。

「ヤシの実の石鹸が入ってる。使って。」

「ありがとう…。」

「シャンプーなんて気の利いたものがないから、全部これで洗うようになるけど…、玲さんの髪がバサバサになっちゃうね。ココナツオイルも、もらってくれば良かった。今日、仕事の時にもらって帰る。明日には使えると思う。」

「ありがとう。そんなに気を遣わなくていいのに。」

 玲はまとめていた髪をほどく。

「長い髪、じゃまね。この島に長くいるってわかってたら、短く切ってくるんだった。」

 じっと玲を見ていた拓真はにっこりと笑った。

「なんで?玲さん似合ってるよ、長い髪。そのままでいいと思う。」

 そう言いながら、玲の髪の先に自然に手を触れて、指先に髪を絡ませる。

「オイルつけたら、少々日に焼けても大丈夫だよ。ごめんね、今日は無くって。」

「大丈夫だよ、一日ぐらい。ありがとう。」

「うん、じゃあ、僕、水運んで戻ってくるから、水浴びしておいて。」

「ありがとう。」

 大きな水桶を抱えて、拓真は振り返りもせず去って行った。上半身は裸のままだった。

 腕時計を確認すると、早朝の五時過ぎ。まだ誰も来ないだろうと踏んで、玲は思い切って下着姿になり、全身をくまなく洗った。緑色の石鹸は独特のにおいがするが、油脂分が多く含まれているのか、肌に優しい。

 着替えも持って来ればよかったな、と玲は衣服を身につけながら思った。明日はそうしよう。

 濡れた髪をまとめながら、玲は拓真のことを思い起こしていた。先ほども玲の髪に自然に触れたし、拓真の家でも、玲の指に自分の指を絡ませてきた。それでいながら、レノと一緒になったら良いなどという、レノの母の言葉を伝えてくる。…島の人との触れ合いが、自然なフィジカルコンタクトを生んでいるのか、それとも人恋しいだけか…。

 青春時代が無いに等しかった玲には、恋人がいたことはない。こんなふうに近くに異性がいることがなかったので、これが自然なものなのかどうか、判断ができない。

 間もなく、空の水桶を抱えて帰ってきた拓真は再び滝壺の水を桶に満たし、今度は木の枝に掛けていた服を身につけて、玲とともに来た道を下って行った。

「お母さん、もう起きてる?」

「うん、起きて水浴びに行った。」

「お母さんはどこに水浴びに?」

「近くの川。泥水だよ、ほぼ。あんなので綺麗になるのかな。」

 愉快そうに拓真は笑う。

「島の人たちは、だいたい朝、川で水浴びをして、その中で用を足す。ね、衝撃でしょ?」

「……すごいね、もう衛生観念が日本と違い過ぎて…。」

 言葉を失う玲の顔を見て、拓真はニヤニヤ笑う。

「僕も結構、染まってきたけど、最初はいろいろカルチャーショックを受けたよ。…でもさ、だんだん自分の中で折り合いをつけていくんだよね。それでも、譲れないとこは譲れないってね。水瓶を真水で満たすのも、泉で水浴びするのも、…客人にトイレを用意するのも、そう。僕なりのこだわり。」

「そうか…。」

 異文化に衝撃を受けながら、それでも自分なりの生き方を模索してきた拓真の姿が垣間見える。しかし、それでも、彼がこの島にとどまり続けている理由はいったいなんだろうか。

「…玲さんはさ、父さんと、どういう関係?」

 初めて、拓真が父のことについて触れてきた。

「期間限定の仕事のパートナー?上司と部下?そんな感じ…。拓真はお父さんの仕事知ってる?」

「詳しいことは聞いたことがないけど、『整理屋』って言ってた。」

「『整理屋』…確かに。」

 玲は笑った。

「…私の勤めていた会社が倒産寸前になってね、別の会社に買収された。そこで、事業を縮小整理するのに、そのスペシャリストとして呼ばれたのが、拓真のお父さんだった。」

「なるほどね、そういう仕事だったんだ、父さん。全然知らなかったな。」

 快活に拓真は言った。

「で、なんで玲さんがパートナーになったの?」

「…私の勤めていた研究開発部は、整理の対象になったんだけど、私だけ、雇用を二ヶ月延長されてね、お父さんの仕事を手伝った。秘書みたいなもの?」

「それは、父さんの希望?」

「そうだね…。」

「玲さん、仕事できたんだろうね。」

「そういうのではないと思うんだけど…。」

 玲は首をかしげる。

「で、最後の日に、初めて、拓真のお父さんと夕食をご一緒してね、その時、拓真の話を聞いた。葉書も、見せてもらった。」

「…あれ、無事に届いたんだね…。」

「うん、レノがね、仕事でレノの働いていたホテルに来た日本の人に渡して、届けて欲しいって言ったらしい。で、その葉書を預かった人が、直接お父さんに会いに来て、レノのことも話したらしい。」

「そっか…よくお父さんと直接会えたね、その人。っていうか、なんでそんなことしたんだろうね。」

「その人も、息子さんがいたから、他人事に思えないって、持ってきてくれたみたい。お父さん、拓真の葉書見て、すぐにレノのホテルに電話してみたけど、レノはもうやめてて、連絡つかなかったみたい。だから、私が探してきましょうか、って私から申し出たの。」

「……なんで?」

「私、少しなら英語も喋れるし、会社も倒産して無職になっちゃって、時間もあるから、お父さんが直接来るより、効率も都合もいいでしょ?」

「じゃ、今は父さんに雇われてるってこと?僕を探すために。」

「必要経費は預かってきたけど、ギャランティは辞退したな…。」

「なんで…意味不明…。」

「なんでだろうね…。私が拓真に会ってみたかったんだよ。」

 玲の言葉に、拓真は沈黙した。しばらくして、拓真は明るく言った。

「僕もね、玲さんに会えてよかった。直接父さんに会うより、玲さんが探しに来てくれて、良かったよ。ゆっくりして行ってね。」

「そうだね。じゃあ、お祭りが終わるまで。」

 玲も拓真の言葉に応じた。

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