万里小路 頼光

父子家庭

第1話 

 僕には、十数年前に離れ離れになった妹が居る。そう、両親が離婚し、僕は父と、そして妹は母と一緒に暮らすことになったのだ。どうして父と母が離婚をすることになったのか、その理由は父に聞いても教えてはくれなかった。いや、恐らく僕がまだ子供だったから、話をしても理解できないと思った仲も知れない。父はいつも僕と話すときは、大人の目線ではなく僕の目線まで降りてきて僕に理解できるようにかみ砕いた話をする人だ。そんな父が話すことができなかったのだから、きっと何か複雑な事情があったのかも知れない。


 記憶を辿ってみても、物心ついた頃には妹と一緒に居り、いつも二人で遊んでいた。ただ、はっきりと覚えているのは、妹の誕生日。


「雛の名前はね、ひな祭りに生まれたからなんだよ」


 父と母は彼女の誕生日には、そう言ってケーキにローソクを立てていた。僕はというと、雛が可愛くて仕方なかった。しかし、何故だか母は、僕にはあまり優しくは無かった。僕は雛を可愛がっていれば、きっと母も僕を可愛がってくれると思っていたけど、事あるごとに母に叱られていた。お兄ちゃんだから仕方ないんだ。そう思い込み、僕は一生懸命母の前では良い子でいようと心掛けた。でも、僕が小学校二年生の時。結局、母は僕と父を残して何処かに行ってしまったのだ。


「お父さん、どうしてお母さんと雛はいなくなっちゃったの?」


 僕が父に尋ねても、父は微笑みながら「武志が大きくなって、大人の話が分かるようになったら話してあげるよ」と言って、本当の事を話してはくれなかった。僕一人を家に置いて、仕事をするわけにはいかないということで、父はそれまで住んでいたアパートを引き払い、祖父母と同居することになった。祖父も祖母もとても優しい人で、いつも僕が寂しい思いをしてないかと気遣ってくれていた。


 確かに、雛が目の前から居なくなってしまったことは、僕にとっては何とも言い難いショックだったことは間違いない。だからといって、今更どう足掻いたって雛が僕の元に現れるなんていうことは、砂浜に落ちたダイヤモンドを探すに等しいことだろう。


 結局、幼い僕にはどうすることもできないと思い、諦めるしか手立てが無かった。でも、いつか大人になったら、父には悪いが、一人で雛を探そうと密かに心に決めていたのだ。果たして、大人になって雛を見つけ出せたとしても、それからどうするかなんて考えは全く無かったのだけれども。ただ、僕の心の中に有ったのは、もう一度だけでいいから雛に会いたい。その一念だけだった。


 僕が中学に入った時祖父が、そして、高校の時に祖母が他界し、我が家は結局僕と父の二人だけになってしまった。父は母が出ていってから後、全くと言ってよいほど再婚する意思を見せなかった。仕事も忙しいようだったが、結婚生活に懲りていたのかも知れない。実際の所、僕が「父さんは再婚しないの?」と聞いても「俺には武志がいるからいいんだ。お前が居れば、安田の血が絶えることはないしな」と答えるだけだった。


 安田の家が由緒ある家系というわけでもないのに、何故か日本人は家の血筋を重んじる。特に古い人間ほどそのような傾向があるように思える。僕にとってはそんなことは、どうでもよいことのような気がするんだけど。ま、取り敢えずは父にしてみれば、自分の代で安田の家が消滅しなかったことで、満足できているのかも知れない。僕の立場から言わせてもらえば、父はいつも男同士という立場で、僕の事を見ていてくれたし、親という目線よりも、常に僕の目線に立って話し相手になってくれていたような気がする。そんな父の事を僕は尊敬していたし、これ以上母の事や雛の話をするつもりもなかった。


 それよりも、やっぱり学業の方が、忙しかったというのが実情だったと思う。有り難い事に勉強に没頭することで、雛の事を少なからず考えずに済ますことができた。もし、将来再会することが有っても、その時、『バカ兄貴』より『自慢のお兄ちゃん』でいたいとの思いも強かったんだと思う。


 彼女が幼稚園の時、母が僕らの前から姿を消したのだけど、少なからず僕は優しいお兄ちゃんでいれたと思っている。ただ、理由は分からないけど、母が僕にとって優しいお母さんでは無かったというだけの事なんだ。それがどうしてなのかは分からないが、僕はもうそんな過去の事には拘ってはいなかった。要は雛に一度だけでもいいから会って話がしたい。ただそれだけの事だったのだから。


 しかし、そんな僕に大きな転機がやって来た。それは、僕が大学を卒業して、社会人二年目の六月の事だ。いつものように会社で仕事をしていると、警察から僕宛てに電話が掛かって来た。


「はい、お電話変わりました。安田です」

「安田武志さんですね。私は交通安全課の山田と申します。実は先ほど貴方のお父さんの安田剛志さんが、交差点で車に轢かれて亡くなりました」


 頭の中が真っ白になった。今現在、唯一の肉親である父が、今朝まで元気だった父がこの世から居なくなってしまったのだ。取り敢えず山田という警官に聞いた病院まで急いで足を運んだ。霊安室に入ると、白い布を掛けられた状態の父が横たわっている。まだ五十半ばで元気に振舞っていた父が、今は息をせずにそこに横たわっているのだ。


 あまりに突然の事だった所為せいもあるのかも知れない。周囲の者ががビックリするくらいに、僕は冷静に役所への手続きから葬式までを済ませていた。父を荼毘だびに付し、保険会社への請求の手続きも済ませ、全てが一段落すると家の中が異常に広く感じ始め、改めて自分一人になってしまったんだということが、胸にせまってきた。流石に、そう思い始めると寂しさのあまり、目から涙が零れ落ちた。でも、落ち込んでばかりもいられない。これからの一年間は相続絡みの手続きが待っている。


 父の銀行の通帳の廃帳の手続きもしなくてはならないし、土地の相続の事とかやるべきことが山積してるのだ。僕の家は多少なりと資産が有ったので、町の中でも大手のスーパーに土地を賃貸しもしていた。だから、賃貸借の契約書を書き替えたりもしなくてはならないだろう。その為、税理士さんとの打ち合わせもしなくてはならないだろう。


 実際、両親が離婚しているとはいえ、雛が目の前に現れれば、相続も複雑になる可能性も否めない。ま、現れたら現れたで、探す手間をかけずに再会できたことを喜べばいいだけの事なんだけど・・・。でも、そのような考えは全て杞憂だった。父が交通事故で亡くなろうと、ニュースで大々的に取り上げられるわけではないし、新聞のお悔やみ欄を毎日気にしてみているわけでもないだろうから、簡単に気付く方がおかしいのかも知れない。

 

 



 

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