第4話 とんぼ返り
並行世界の衝突というのは言ってみれば自然災害に近い。
発生や接近を予測することはかろうじてできるが、完璧に防ぐ手だてはない。
直接的に台風をねじ曲げることも、地震をこの世からなくすこともできない。
非力な俺たちにできることは、川の増水に備えて土嚢を積むことや、地震に備えて防災グッズを準備しておくことだけだ。
それと同じように、無遠慮にやってくる並行世界を遠ざけることも、衝突するのを避けるようなこともできない。
いつから存在する現象なのか計り知れないのも、少し似ているように思う。
さて、俺はこれまで何度も〝衝突〟という言葉を用いているが、感覚としてはぶつかるというよりも同期に近い。
二つの並行世界が一つになる。
互いの違いを残しながら、間をとりつつ、違和感なく混ざり合う。
赤と青の絵の具を混ぜると紫になるのと似た感じだ。
ただ紫色にも多くの種類がある。
その色が赤紫になるか、青紫になるかに違いはあるのだ。
むしろ、そこに違いを見出すことしかできない。
情けない話だが、それが現実だ。
***
「――ということが、あって今にいたる」
「そりゃ朝っぱらからご苦労さん」
登校してすぐ、俺は今朝のことを杉山に話した。
この杉山光太郎は、一般的には認知されていない並行世界についてを知る数少ない友人だ。
こいつ以外のクラスメイトは並行世界について知らない。
ラグビー部に所属している杉山は、俺よりもずいぶん筋肉質だ。
同じ制服を着ているのに、受ける印象はずいぶん違う。
なんか杉山のほうが健康そうに見える。
それにしても、どうやらこいつにはいまいち俺の話が通じなかったらしい。
言葉にあまりねぎらいの気持ちがこもっていない。
椅子をガタガタとやりながら聞く姿もダメだ。
背もたれを引っ張ってやろうかとさえ思う。
「それが並行世界の自分を殺されたやつへの態度かよ。もっとなんか優しさみたいなものがあって然るべきだろ」
「えぇ~……だって、吉野だろ。だったらあんまり不思議じゃないしなぁ」
短く刈り込んだ髪をなであげながら、杉山は言った。
「それによ、木戸。この間の実験を思い出してみろ」
「化学のやつか?」
「そうだ、カエルの解剖しただろ」
この間といっても、少し前のことになる。
あの実験がおこなわれたころはまだ心地良い春の天気だったが、今はジメジメとした梅雨だ。
今は雨こそまだ降っていないが、どんよりとした曇り空である。
「あの実験、始まるまで女子はいやがってたの覚えてるよな?」
「覚えてるさ。『さいあく、さいあく』って教室中から聞こえたな」
「しかし、その女子のほうがいざ始まってみるとやけに楽しげに解剖していただろう」
女子は悲鳴をあげはしていたが、それは遊園地でジェットコースターに乗ったときのような感じがした。
つまり、怖いというよりもそれを楽しんでいる感じのする悲鳴。
明るい声で「きもちわる~い」とか言いながら、手際よくカエルをかっさばく姿はむしろかっこよかった。
「対して我々男子はどうだった?」
「どうって……まぁ、お恥ずかしい感じだったよな」
「そのとおり。実験が始まるまでは『解剖とか楽勝だよな』と余裕ぶっこいてたのに、いざとなると全然だった。秀才であるあの片岸でさえ、尻込みしていただろう」
そりゃ、誰でもあんまり格好の悪いところは見せたくないわけだし、平気な顔をよそおうだろう。
それは仕方ない。
それに始まるまではできるような気がしていたのだ。
だが、実際にさわってみると想像よりも感触が生々しくて……ああ、思い出しただけで鳥肌が立つ。
むにっと、こう……むにっと、ぶにっとするのだ。
そこに刃をずぶずぶと沈み込ませるのもまたなんとも言えない気持ち悪さがある。
極めつけはそこまでの感触を耐えぬいた先にある、恐るべき光景。
そりゃ解剖なのだから内蔵を見るのが一つ大きな目的で、がんばって腹を開けばそこは当然目的地ではある。
しかし、あれはちょっとダメだ。
「それで? 俺たちが共有している情けない過去を引っ張りだしてきて、いったいなにが言いたいんだよ」
「つまり、女子のほうが切り替えが早いし、腹も据える。とっても男らしいということだな」
「女子のほうが男らしいってそこだけ聞くと意味不明だな」
「じゃあ、男子のほうが女々しい」
「それも嫌な響きだ」
「吉野が並行世界の木戸を撃てたのって、そういうことじゃねぇの?」
「俺の扱いはカエルかよ。冗談きついぜ」
『電話ですよー、電話ですよー』
バカみたいな話をしていると、またもバカみたいに明るいナユタの声で携帯が鳴った。
あいつ、また妙な着信音にしやがった。
ちゃんとしたのに変えとけって言ったのに。
クラスメイトのクスクスとした笑いにつつまれながら、確認すると「芳月先輩」という表示が画面をおどっていた。
思わず声が震える。
「よ、芳月先輩からだ……」
「げっ、マジかよ」
杉山はあまりにもわかりやすく嫌な顔をする。
多分、俺も似たような表情をしているのだろう。
これが電話でよかった。
こちらの表情が伝わらなくて済む。
思わず教室の時計を確認する。
始業まであと五分しかなかった。
無視しようかと思ったが今後のことを考えるとそれはとてもできない。
観念するしかないだろう。
なんとか通話ボタンを押し込んで、ナユタの着信音声を止める。
『もしも~し、木戸くん?』
気楽そうに間延びした声が届いた。
芳月叶恵という先輩は俺たちよりも四つ年上の女子大生だ。
バイトは俺や希美と同じ、あの喫茶店で働いている。
そして杉山と同じく並行世界について知っている人でもある。
『ナユタから聞いたよ~。今朝は大変だったみたいだね』
「ええ、まぁ。いや、そうじゃなくて、こっちはもうすぐ授業なんで……」
『そっか、高校生だもんね。あたしは今日、講義がないんだよねぇ。いいでしょ~?』
「そうですね、えぇっと……用がないなら切っていいですか?」
『まってまって、切らないでよ! ちょっと手が足りなくて、困ってるの。ね、手伝って』
電話がかかってくるということは、そういうことなのだろうとわかっていた。
わかっていたからこそ、早く電話を切りたかった。
なにせ芳月先輩が受け持っているのは喫茶店のバイトとは別にもう一つ、絶対に楽しくなれない作業があるからだ。
「あの、もしかしなくても……」
『そう、もちろん修正作業のお手伝いだよっ、えへっ』
「かわいくないです。そんなのでごまかされません。男子高校生をなめないでください」
『あ、ひっどーい! 木戸くんってば、かわいくなーい! もう絶対に手伝ってもらうから! 杉山くんと吉野ちゃんと三人でこっち来て。なるべく早くね!』
電話が切れた。
相変わらず、自分のペースでしか生きていない人だ。
黙っていればただの優しそうなお姉さんなんだけど。
あくまで、見た目だけは。
時計を見る。
あと四分で始業のチャイムが鳴るような時間だった。
連絡するにしてももう少し早くしてくれればよかったのに。
「さて、行こうぜ。木戸」
電話での受け答えで事情を察したのだろう。
杉山はすでに帰り支度をすませていた。
その顔はすっかりあきらめの境地に達している。
「また片岸にノート借りるしかねぇよなぁ。今日はまだ来てないみたいだけど、あいつが休むわけがないし。あ、木戸は吉野に借りるのか?」
「芳月閣下はあいつもお呼びだぜ」
「そりゃ、そりゃ、可哀想に」
持ってきたばかりの鞄をひっつかんで、隣の教室へ向かう。
希美の席は廊下側の最後尾だ。
教室に入らずとも扉を開ければすぐのところにいる。
「希美」
俺の顔を見た希美は、これ以上ないというくらい嫌な顔をした。
自分の下着を父親のものと一緒に洗われた年頃の女子のようだ。
希美の机にはもう教科書とノートが広げられている。
授業を受けるつもりは満々だ。
俺だってさっきまでそうだった。
「想像ついてるだろうけど、芳月先輩から呼び出しがあった」
「今から?」
「すぐに」
「バイト先に?」
「戻る」
「それから?」
「修正作業だ」
「…………」
黙り込んでしまった。
目つきの悪さから察すると睡眠不足なのかもしれない。
いつもより三割増しでご機嫌斜めのように思える。
そういえば、希美は昨日並行世界の俺を殺している。
つまり、その仕事があったということだ。
ノンキに寝ていた俺よりもハードワークだろう。
「……わかったわ。行きましょう。修正作業も大事な仕事の一つだものね」
俺に答えるというよりかは、自分に言い聞かせるような口調で希美は重い腰をあげた。
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