重なる世界は億万劫

北斗七階

プロローグ

第1話 どこかのある日

 無意識に思い込んでいることはないだろうか。

 世の中に対する「まぁ、そんなもんだよね」というやつだ。

 ある種の経験に裏打ちされたその感覚は自分でも知らないうちに俺の行動を規定している。


 なんとなく、だ。


 なんとなくこのまま生きていても自分が立派な大人にはならないんだろうな、とか。

 なんとなくこの世の美人にはみんな彼氏がいるんだろうな、とか。

 なんとなく今日も明日も地球は回っているんだろうな、とか。


 まだ人生を十七年しか生きてはいない若輩者でも、なんとなくの経験則で生きている。

 そしてそれは大抵はずれない。

 学校の成績も平凡でさしたる特技のないおれはこれからも凡庸に生きていくのだと思うし、クラスで一番かわいいあの子は大学生と付き合っている。

 数多の噂はあれど、世界は今日も滅びることなく回っている。


 別に、不満はない。

 おれの思い込みは、おれが創りだした、いわば人生におけるルールブックだ。


 だからこそ、その無意識の思い込みを安々と破壊されたときに、おれは死ぬほど驚かされ、実際に死にかけていた。


 それは特に変わったことなんかない、学校からの帰り道だった。

 おれはいつもと同じように、平凡な部活動にいそしんで、並んで帰ってきた友達と別れた。

 それから特になにも思わずにいつもと違う道を通ることにした。

 なんとなくそう思っただけで、これにも特別な理由はなにもない。

 大きく道を変えたわけじゃない。

 いつもより一本早く道を曲がっただけだ。

 それをしたところで、家に着くまで歩く距離が変わるわけでもない。

 道一本分だけ違う景色を味わうだけ。たまにこういうことをしたくなるのは、そう珍しくもないはずだ。


 ここからが普段と違っていた。


 突然くるみでも割るような乾いた音が響いて、すぐに甲高い悲鳴が聞こえた。

 遠くから聞こえたなら、また近所の小学生が騒いでいるのかと思うだけだが、今回にかぎってそれはすぐ近くから聞こえたのである。


 反射的に視線が声のしたほうへ向く。

 すると、さびれた公園に小学生くらいの少年が二人いるのが見えた。

 その内一人が地面に倒れ、もう一人が泣いている。

 悲鳴を上げたのは泣いているほうだろう。


 公園にはもう一人、彼らを見下すように立つ女がいた。

 女の表情は長い髪に隠れてうかがうことができない。


 だが、手には拳銃が握られていた。

 銃口は少年たちのほうへ向けられている。


 おれにはすぐにわかった。

 あれはエアガンの試し撃ちに違いない。

 エアガンを違法に改造するのが趣味の女が、子どもたち相手に試し撃ちをしている。

 そう予想するのが妥当だ。

 そしてこの結論に間違いはないだろう。


 だったら、そんなことを黙って見過ごせるわけがない。


「おい! なにやってんだ!」


 おれの声に少女は驚いたようにこちらを見た。

 当然、銃口も少年たちからそれる。

 その隙におれは少年たちのもとまで駆け寄った。


「大丈夫か?」


 悲鳴をあげたであろう少年は涙でぐしゃぐしゃになりながら首を激しく横に振った。

 そして、恐怖に震えている手で倒れたままの友達を指差す。


 撃たれた少年はぴくりとも動かない。

 痛みを訴えるうめき声も、泣き叫ぶ声もなければ、身じろぎ一つしなかった。

 もしかしたら、ケガの具合は俺の想像よりもひどいのかもしれない。


「おい、そっちの子。大丈夫か」


 動かない少年を助け起こそうとして、踏み出しかけた足が止まる。

 血だ。

 真っ赤な血がどんどん広がっていく。

 公園の砂が少年の周りだけ赤くなって、円形にひろがり続けていた。

 その量が普通じゃない。

 決壊したダムの水があふれるように、小さな体からとめどなく血液が流れでて、足元をぬらしていく。

 むせ返るような血のにおいが、おれの足をすくませた。


「どいて」


 立ちすくむおれに銃口が向けられる。

 構えた女の表情は自分のやったことをわかっていないのか、平然としていた。

 あわてた様子も、銃も威力を確認する様子もない。

 ひどく機械的な動作で引き金に指をかけた。


 まだ無事であるほうの少年が小さく悲鳴をあげておれの背に隠れる。

 まさかとは思うが、本当に撃ってきそうな迫力があった。


「お、落ち着け。なんでこんなことするんだ」

「どいて」

「あんたが改造したエアガンの威力は十分わかっただろ」

「どいて」

「その子、このままだと死ぬぞ。あんた、人殺しになるんだぞ」

「どいて」


 取り付く島もなく、会話がまともに成立していない。

 おれのどんな言葉にも相手が返す言葉は一つ。

 子どもをそのままにして、消えることのみを要求してくる。

 おれは黙って相手をにらんだ。

 その視線にありったけの威嚇を込めた。


 すると、そのとき妙な感覚を覚えた。

 彼女の顔に見覚えがあるような気がしたのだ。


 鋭い眼差し、きつく引き結ばれた口元、そして腰まで伸びた長い髪。

 今の彼女ではなく、その幼少期を知っているようなそんな奇妙な感覚がわきあがってくる。

 けど、その正体がはっきりするよりも先にブザーのような音がおれを現実に引き戻した。


 銃を構えたまま女がもう一方の手で携帯電話を開く。

 そして、なぜか女はスピーカーフォンにして電話を受けた。


「なに?」

『吉野さん、時間がありません。迅速に対応してください』


 電話から女性の声が聞こえる。

 それに短く「わかった」とだけ答えた少女が引き金を無造作に引いた。


 あまりにもあっさりと、引き金がひかれた。


 さっき一度聞いた音が耳に届く。


 すると、まるでその音によって直接えぐられたかのように、穴があいた。

 おれの胸にあいたその穴から噴水のように血液が吹き出す。


「え……?」


 自分の口から漏れた声が、マヌケに聞こえる。

 痛みを感じるより先に意識がこぼれおちていく。

 急激に色を失っていく目が最後にとらえたのは、どこまでも冷たく光る銃口だけだった。

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