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  • 神様への応援コメント

     12mってのは端から端まで、ですよね。
     端と端と、12mを2つの端で分けてるので、
     12 ÷ 2 = 6m 。
     この延長コードは6mです。

    作者からの返信

     読んでくださってありがとうございます。


     さわみずさんが下さったコメントの内容に対して私は、

    「??? どういうことだってばよ……」となってしまっています。

     さわみずさんのコメントに対して無理やり理屈をつけて理解をしようとすれば以下の通りとなります。


     まず『12mってのは端から端まで、ですよね。』と、さわみずさんが延長コードの境界の一部が『端』というもので区切られている、隔てられているということを、前提として示しました。

     次に『12mを2つの端で分けてる』との言葉があります。
     これは省略された言葉や言い換えられた言葉を細かく見ていきますと、『12m(の延長コード)を2つの端で(前述の12mの延長コード以外のものから、世界から、世界の総体から)分けている(←この『分けている』とは、12mの延長コードとそれ以外のものを隔てている、世界の総体から区切っている、と言う意味であるかと思います)』となるかなと思います。

     そして『12 ÷ 2 = 6m 』についてですが。
     これは先に触れた『12mを2つの端で分けてる』から私が補った()を全て取り払って、既に文脈の中で与えられていた意味をまっさらにしてそのうえで、新たに『12mを2つの端で分けてる』を解釈しなおしたものなのかなと思います。 


     さわみずさんのコメントを理解しようと努めましたが、難しく考えすぎていて見当はずれなことを言っている様な気もしています。

     なにはともあれ、さわみずさんからコメントのお言葉をいただけて うれしいです。


  • 編集済

    神様への応援コメント

    延長コードの話、端的に言ってしまえば「同じものでも人によって認識が異なる」ということだと思いますが、それをすごく腑に落ちる具体的なエピソードで見せる技術が素晴らしいと思いました。

    私は所謂心の病のある方と少しだけ接したことがあるのですが、まさに「見えているものが違う」という感じがしました。
    結局生活に支障をきたさないために私は多数派の認識を真としていますが、少数派の彼らが見えているものを偽と切り捨て続けることで見逃しているものもあるかも知れないなとは、よく思います。

    それでいうと、特定の宗教を信仰していない人が多い日本という国も、世界的にはかなり少数派ですよね。世界から見たら12メートルを6メートルと言っている民族なのかも知れませんね。

    長々とすみません。色々と考えたくなる良作でした。


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    2026.10.01追記

    丁寧なお返事ありがとうございます。嬉しいです。

    「自分が正しいと思っていることが間違っているかも知れない。間違ったことを当然のような顔で主張しているのは、もしかしたら自分かも知れない」
    ということですよね。その感覚、すごくよくわかります。
    この感覚が強まって行くと、何かを「断言」することがどんどんできなくなっていきますよね。。

    @gagiさんの例で言うところの「先輩方」、つまりは第三者にその結論をジャッジしてもらうのは良い手なんですが、「先輩方」もまた自分と同じ勘違いをしているのかも知れない……でも、結局は現実に生活を送るために、どこかで踏ん切りをつけて自分の結論を信じなければならない。

    宗教ってそう言う意味で、すごく頼りになる「先輩方」の残した人生のマニュアルなんでしょうね。

    作者からの返信

     K.K.さんからコメントのお言葉をもらえて うれしいです。
     特に長文コメントを書いてくださったのが めちゃうれしいです。


     延長コードのお話は確かに「同じものでも人によって認識が異なる」という内容のものだなって、私も思います。

     ただ、私がこの延長コードの出来事を今でも印象深く覚えているのは、この出来事があってから以降ふとした時にふとした出来事から「自分が12mのコードを6mだと言い張っている側なのではないか?」という恐怖に襲われるようになったからなのです。

     例えば先日私は部長から、社内の新システムへの移行に伴う各種表記の統一についての取りまとめの仕事を振られました。(部長が他の部署から回ってきたものを私に投げた形です)

     (本来であれば私の直属の上司がやるような仕事だったのですが、その直属の上司が風邪で休んでいたために私に仕事が回ってきました)
     
     その仕事に関するメールや記載例の文言を読んでみる限りでは、その仕事は既に決定され運用されている各種表記をまとめるようなものではなく、現行の各種表記を新システムへの移行を機に、ごちゃごちゃになっている部分を正しませんか? 統一しませんか? という内容でした。

     端的に言えば既にあるものを集めるのではなく、新たに決定を下す必要があったのです。

     私は上記の内容を不十分だけどなるだけ簡潔に伝えた(部長はめちゃ忙しそうな感じだったので)上で、私の一存では決められない物事であると部長に伝えました。

     それに対して部長はちょっと面倒そうに「いやいや、このシートの空欄のセルに今使ってる各種表記を入れればいいだけのことでしょ」と言いました。

     結論から言えばこの出来事については部長が他部署から回ってきた仕事のメールをあまり読み込まずに私に送っていて、内容をあまりよく理解していなかっただけ、という話でした。

     同じ部署の先輩方にも私が振られた仕事のメールを読んでもらって、皆さん私と同じ理解に着きました。

     私は論理的な思考が出来ていたのです! 
     私は正しい解釈が出来ていたのです!

     ……でもね、部長と話をした直後の私はそのようには考えられませんでした。

     もちろん、部長に話をする前に、部長から転送されてきたメールは何度も読み返しましたし、添付されたシートの説明書きも注意深く読んでいました。

     理屈立てて理解が出来ていたつもりではありました。

     けれども私はその時、部長が間違っていると断言することができなかった。

     それは立場上の力関係などが理由じゃないんです。

     もしかしたら私は、私の知力で物事を理解した気になってはいるけれども、

     もしも私の知能に致命的な欠陥があって気付くべき何かを、理解するべき何かを、悟るべき何かを、感知できていなかったとしたら。

     そう思うと怖くなっちゃうんです。

     自分の立っている地面が揺らいで崩れていくような心持になるんです。

     私はどんなに慎重に理性を尽くして理解した物事であっても、他の人と認識の意見が食い違えば、相手が間違っていると断言が出来ない体になってしまっている。

     相手がもしかしたら正しいかもしれないと考えることは、私の全霊を尽くした理性が欠陥品である可能性を考えることでもある。

     もしも私の知能に致命的な欠陥があったとしたら。まるでコアラが木の枝から離れたユーカリの葉を認識できないような。まるでアホウドリが巣の外にいる自分の子供を認識できないような。

     あるいはまるで12mのコードを6mだとしか認識できないような。

     そのような何らかの致命的な欠陥があったとしたら。

     もしも自分の思考の論理にそのような欠陥があったとすれば、私は何を拠り所に世界を認識すればいい?

     ここまで言葉を尽くしてもうまく示すことのできないような、ぞっとする恐怖を私は感じてしまうのです。

     そのような恐怖を、私は延長コードのエピソードを用いて示したかったのです。


     ……K.K.さんが感想コメントで色々と考えてくださったのが嬉しくて、K.K.さんの数倍くらいの長文コメントを打ち込んでしまいました。

    「こんな長文をぶち込んでしまったら、K.K.さんに引かれちゃうよなぁ……」という自覚はあります。

     けれどもこの長文のままお返事しちゃいますね。

     悪いけど、怯えてください。


     作品を読んでくださってありがとうございます。

     あらためて、感想のお言葉うれしいです。
     
     

  • 神様への応援コメント

    コメント失礼します。
    精神世界に興味があるので、非常に興味深く読ませていただきました。私は宗教には全く興味がありませんが、祈りには力があると信じてます。独特な感性を持っている方たちとの接点もあるので、コードの話もなるほど、そういうこともあるだろうなあと感じました。作中のお母さんの言葉も理解できます。何を信じてもいい、他人を傷つけなければ、と宗教を巡る争いを見ながら思っています。

    作者からの返信

     読んでくださってありがとうございます。


     正直に白状しますと、私の今回の作品には書くにあたって下敷きとした小説があります。

     それは村上春樹さんの短編小説『神の子どもたちはみな踊る』です。

     村上さんのこの作品からは、母が宗教の信者であったり、他の信者さんから就職の紹介をうけるなど、主人公の来歴に宗教的なコミュニティが密接にかかわっている点や、ある種の祈り方が「神様を試すようなこと」であるとの物事の考え方をお借りしました。

     村上さんの『神の子どもたちはみな踊る』には煽情的ではないにせよ性的な描写が含まれており、それらの描写は場合によっては読む人々を不快にさせるかもしれません。

     けれども私は村上さんの『神の子どもたちはみな踊る』を読んで、この作品内では何か、こう、尊いものが示されているように感じました。素晴らしきものが示されているように感じました。この尊いもの、素晴らしきものというのは村上さんの『神の子どもたちはみな踊る』を構成する文章全てによってのみ示し得るものであるような気がします。

     村上さんの『神の子どもたちはみな踊る』。

     もしも いとうさんがまだお読みになったことのない作品でしたら、是非お時間や機会があれば読んでみてほしいなって思います。

     
     感想のお言葉をもらえて うれしいです。

  • 神様への応援コメント

    12mの延長コードのたとえが、とても印象に残りました。
    「神様はわからない。でも祈るときに何かを感じる」という距離感が、とても好きです。
    静かで素敵なお話でした^_^

    作者からの返信

     読んでくださってありがとうございます。


     12mの延長コードのお話は、私が実際に体験した出来事が元ネタになっています。

     実際にあった話は10mの延長コードを障害がある方が「これは5mだ」と主張したというものでした。

     その時の私は延長コードを真ん中から半分に一回折って、(何回も折ると障害のある方がそれをうまく認識できない可能性があったからです)それを床に伸ばして置きました。

     それから私は延長コードの横に己の身体を横たえました。

     私の身長は170㎝です。延長コードが私の言うように10mの長さであれば、真ん中から半分に折った時の長さは私の身長×2の340㎝よりも長い500㎝です。逆に障害のある方が主張するように5mの延長コードであれば、真ん中から半分に折った時の長さは私の身長×2の340㎝よりも短い250㎝です。

     私は自分の踵が延長コードの先端に来るような位置で一回寝そべり起き上がり、その一回目で私の頭頂部が来た位置に踵が来るようにしてもう一回寝そべりました。

     二回目に寝そべった時点でも半分に折られた延長コードのもう一方の先端は、私の頭頂部よりも先の位置にありました。延長コードは私の身長×2の340㎝よりも長かったのです。

     私は言いました。「ほら、やっぱりこの延長コードは10mだよ。少なくとも、5mであるということは有り得ないよ」と。

     けれども障害のある方はそれでも納得できないようで、不満そうな表情や声色で「いえ、これは5mの延長コードです」と言うのです。

     その方は会話などの簡単な日常生活においての行動についてはそこまで困難のある方ではなかったのですが。

     空間のを認知する能力に関しては、私が確認できた検査結果を見るに多くの方々よりも数値が劣っていました。

     私はこの出来事があってから「一見すると同じ場所や空間にいるように見える人々でも、各々は隔絶された全く別の世界で生きているのかもしれない」と強く考えるようになりました。

     一本の延長コードがある人にとっては10mであり、別のある人にとっては5mであるように。


     作中の『12mの延長コードのたとえ』をアタヲカオさんに『とても印象に残りました』と言ってもらえて良かったです。

     感想のお言葉、うれしいです。


  • 編集済

    神様への応援コメント

    ヤバいやつ笑笑9月月刊ましろのコメ有難うございます。
    どMな豚が感想を置いていきます。静かな祈りを欲にまみれた豚が捉えた感想です。レビュのほうにかいたので削除なりご一報くださいませ(*´ω`*)

    作者からの返信

     豚の欲目さんからコメントをいただけて うれしいです。

     すみません、豚の欲目さんのことを初見で「やべーヤツかもだぜ……」と思ってしまったことは事実です。

     でもでも、文章の内容をよくよく読んでみれば、この方はとても理知的で優しいユーモアに溢れた方なのだな、との印象を持ちました。


     作品も読んでくださってありがとうございます。


     私の今回の作品の神様や祈りの関係については、正直に白状しますと豚の欲目さんが感想に書いてくださった内容程に難しくは考えられていませんでした。

     そもそもこの作品は全体の内容をあまり深く考えきれないままで書いてしまったところがあるのですが。

     一応、物語最後の主人公の「今日もいい日になーれ!」と新聞の投函の音は、主人公の神様観とそれを否定する存在、的なことを考えながら書いていました。

     でもでも、豚の欲目さんが感想に書いてくださった解釈も、「深みがあっておもしろいぜ!」と私は感じました。

     私は私の作品を読んでくださった方が、私の作品の内容に対してあれこれと考えてくださることが めちゃうれしいです。

     私は私の作品に対して「正しい解釈は存在しない」との姿勢でいます。

     私は私の作品を読んでくださった方が私の意図通りの感想を持ってくださると うれしいと感じます。

     けれども私の意図せぬ予期せぬ感想をくださるのもまた、めちゃうれしいぜ! と感じます。

     むしろ私の考えの埒外にあった物事の考え方に触れられるという点で、私の意図していなかった感想を考えてくださるというのはありがたいです。私の狭い世界が広がるような感覚があります。

     せっかく豚の欲目さんが私とは別視点の解釈を与えてくださったので、今からこの作品のジャンル区分は現代ファンタジーとホラーの二刀流で行こうと思います。 

     あらためて、感想のお言葉をもらえて うれしいです。

  • 神様への応援コメント

    祈るという行為の本質がさらっと描かれてますね-すごいっヾ(≧▽≦)ノ
    ちなみに僕は中高とミッション系でしたが、
    毎朝の礼拝、言葉にならないぐらいめんどかったです(>_<)

    作者からの返信

     読んでくださってありがとうございます。


     この作品の中での祈るという行為のイメージは、ジョジョ7部SBR最終話で記述される、旅の中での様々な祈りを借りてきました。

     ただ、私のこの作品内での『祈り』と、ジョジョ7部SBRで示される『祈り』とでは、ニュアンスがちょっと違うかもしれないなって感じています。

     でも、私は同一のものであるような気もしています。


     中学高校がミッション系って、なんだか かっこいいですね!

     私はミッション系の学校の内部事情をいまいち詳しく分かっていないのですが。
     自分が興味を持っていない宗教と言うか、自分がハマっているわけではないコンテンツの取り組みを半ば強制的にさせられるというのは、すごく苦痛そうだなって思います。

     
     感想のお言葉、うれしいです。

  • 神様への応援コメント

    2000文字以内のお題企画にご参加ありがとうございます!
    何を信じてどう生きるか、人それぞれですものね
    新聞代だけで他にお金を払っていないなら大丈夫かなぁ
    ちょっと心配になりますねw

    作者からの返信

     読んでくださってありがとうございます。
     また、感想のお言葉もうれしいです。


     私は特に特定の信仰を有していたり、団体に所属しているわけではありません。
     
     そうではないからこそ、いわゆる新興宗教みたいなものに対して「なんか、危なそう……」みたいな漠然とした印象を持っています。

     宗教の団体さん達が主たる目的としているであろう信仰、その信仰それ自体では金銭的な利益が生じないように思います。

     だからこそ新興宗教さんたちはその団体を維持するために(あるいはその集団に一部の人間が私腹を肥やすために)、信者さん達に金銭的な負担をたくさん求めるような偏見が私にはあります。

     現実で新興宗教さんたちと関わるのは、なんか怖いなーって思いますし。他の人が新興宗教さんと関わり合っていると、クロノヒョウさんのように「ちょっと心配だな……」と私も思います。


     こちらこそ、企画に参加させてくださってありがとうございます。