青蘭中学校――バスケットボール部の体育館。
ボールが床を叩く音と、シューズの擦れる音が絶えず響いている。
「あれ? 愛理のやつ、あんな所で何してんだ?」
俺――真田蓮也は、体育館の隅にある器具庫の陰に視線を向けた。
そこには、壁からひょこっと顔だけを出し、何かをじっと見つめている妹の姿があった。
……いや、何してんだ、あいつ。
どう見ても怪しい。
俺は苦笑しながら近づいていく。
「おい、愛理。なにやってんだよ」
「ぬわ……!?」
声をかけた瞬間、愛理の肩がびくんと大きく跳ねた。
驚いたように振り返り、それから俺の顔を見てほっと息を吐く。
「にしし♡ なんだ、蓮也か」
「なんだじゃねぇよ。コソコソ隠れて何見てんだ?」
「べ、別にぃ?何も見てないけど〜」
いかにも怪しい返事だった。
俺は愛理の視線の先を辿る。
すると――。
「あー……」
そこには最近転校してきた神田ゆういちの姿があった。
部員たちと話しながら、いつものように楽しそうに笑っている。
その姿を見た瞬間、全部察した。
なるほど、そういうことか。
俺は思わず口元を緩める。
「はは〜ん」
「……な、なによ」
愛理が嫌そうに眉をひそめる。
だけど、耳がほんのり赤い。
「愛理、今ゆういち見てただろ」
「はにゃ!?」
愛理の顔が一瞬で真っ赤になった。
「にしし♡み、見てないけど!?」
「適当なこと言わないでもらえる?」
慌てて否定するが、その反応が答えみたいなものだ。
「いやいや、絶対見てただろ? お兄ちゃんにはお見通しだぞ」
「……シスコン」
愛理は視線を逸らし、唇をむぅっと尖らせる。
分かりやすすぎる。
「うるせぇ!てか、そんなに気になるなら喋りにいかなくていいのか?」
「ダメ」
即答だった。
「……は?」
「さっき話しかけてから、まだ一時間しか経ってないからダメ」
「何言ってんだ? お前」
本気で意味が分からない。
話しかけてから一時間。
だからダメ?
なんだその謎ルール。
すると愛理は、さらに顔を赤くして俯いた。
指先をもじもじと絡め、落ち着かない様子で小さく口を開く。
「だ、だって……」
その声は、さっきまでの強気な調子とは違っていた。
「何回も話しかけたら……め、迷惑じゃない……」
「うざいって思われるかもしれないし……」
愛理はぎゅっと自分の制服の裾を掴む。
そして、消えてしまいそうな声で続けた。
「……嫌われたくないから」
一瞬、言葉に詰まる。
愛理は恥ずかしそうに俯いたまま、ぽつりと付け加えた。
「だから……ちゃんと時間、空けてるの」
そう言って、ちらりと遠くにいるゆういちを見る。
その横顔は、少し不安そうで。
少しだけ、切なそうだった。
完全に乙女モードになっていた愛理を見て、俺は思わず苦笑する。
「何だよ、そのマイルール」
俺はからかうように肩をすくめた。
「そんな悠長なことしてたら、ゆういち他のやつに取られちまうぞ?」
軽い冗談のつもりだった。
だけど――。
「……そんなの、絶対やだ」
愛理がぽつりと呟く。
その声は驚くほど真剣で、俺は一瞬だけ目を瞬かせた。
愛理はぎゅっと胸の前で手を握りしめ、不安そうにゆういちの背中を見つめている。
「だったら、さっさとゆういちに話しかけに行け」
「え……?」
俺は愛理の背中をぽんっと押した。
「ぬわっ!?」
愛理の小さな体が前へとよろける。
その拍子に、ちょうどゆういちの近くまで出てしまった。
「あれ?」
ボールを抱えていたゆういちが首を傾げる。
「愛理、どうしたんだ?」
「に、にしし♡ ちょっとつまずいちゃってね〜」
ぎこちない笑顔。
だが、俺には分かる。
愛理の頬がぴくぴくと引きつっている。
(……蓮也、後でしばく)
そんな心の声が聞こえてきそうな顔だった。
俺は少し離れた場所から、二人の様子を見守る。
「……」
「……」
無言。
(おい! なんか喋れよ!!)
せっかくチャンスを作ってやったのに、二人とも立ったまま黙っている。
特に愛理。
さっきまであれだけ見つめていたくせに、いざ本人を前にすると完全に固まっていた。
俺は思わず額に手を当てる。
すると。
遠くからでも俺の視線を感じたのか、愛理が小さく口を開いた。
「ゆ、ゆういち……好きなお菓子とかある?」
「え?」
ゆういちは少し驚いた顔をする。
「お菓子?」
「う、うん……」
「そうだなぁ……強いて言えばクッキーとかかな」
「でもあんまり甘すぎないやつ!」
「……っ」
その瞬間、愛理の目がぱっと輝いた。
「へぇ〜、クッキー好きなんだ」
そして、どこか嬉しそうに笑う。
「愛理、お菓子作り好きだから……明日、作ってきてあげようか?」
「え!? マジで!?」
ゆういちの顔が明るくなる。
「いいの?」
「う、うん……」
「やった! 明日楽しみだぜ!」
その無邪気な笑顔に、愛理の顔がみるみる赤くなっていく。
「そ、それじゃ……れ、練習頑張って」
「ああ!」
愛理はそれだけ言うと、逃げるようにこちらへ戻ってきた。
そして俺の前まで来るなり、胸を押さえて大きく息を吐く。
顔は真っ赤だった。
「なに話したんだ?」
「……ゆういちに、クッキー作ってあげる約束した」
「……は?」
俺は固まった。
「クッキー作り?」
「うん!」
「愛理、お前……料理できないだろ?」
長い付き合いだから分かる。
こいつの料理の腕は壊滅的だ。
一度、目玉焼きを炭に変えたことがある。
しかも本人は「半熟のつもりだった」と真顔で言っていた。
「……。」
愛理は数秒黙り込む。
そして。
「にしし♡」
にっこりと笑った。
嫌な予感しかしない。
「蓮也って料理得意だったよね?」
その小悪魔みたいな笑顔を見た瞬間、俺は全てを察した。
「お前……まさか……」
「今日、家帰ったら――」
愛理は両手を合わせ、にへっと笑う。
「クッキー作り、教えてね? お兄ちゃん♡」
【番外編投稿】
本編では描けなかった、真田愛理視点の小話です!
時系列は本編68話付近になります。
ほのぼのした番外編として楽しんでいただけたら嬉しいです!