僕の作品を読んでくださっているみなさま、応援してくださっているみなさま。
本当に ありがとうございます。
今回も自作に対しての想いについて語らせてください。
【見えない誰かと同居して思うこと ~見えない方々とのご縁について~】
この作品に書かれてある不思議な体験は筆者が実際に体験したことで、今でも毎日のように、あたりまえの日常となっております。
今の家に引っ越した少年の頃から今に至るまで、目には見えないけれど確かにいらっしゃる誰かと生活をともにしていくなかで、「幽霊」という呼び方をすることに対して少しずつ抵抗感をもつようになり、見えないけれど確かに存在する「見えない人」という呼び方で、この作品を書きました。
そして大人になり、彼らとともに生活していくなかで、「本当の寿命」とは何なのかについても深く考えるようになり、この作品に自分の考えや想いを力を入れて書かせていただきました。
世間一般での見えない方々へのイメージは、確かに複雑な想いを抱えて地上にとどまられている方々も多くいらっしゃると思いますが、その方々も必死で今をこの地上で生きられていますし、とても身近に家族のように温かくやさしく見守ってくれる方々も、確かに、いらっしゃるということを書きたくて、この作品を書かせていただきました。
【人生に~】
続いては、「人生に~」という作品についてですが、この作品は そうですね。
筆者が強く伝えたかったメッセージになります。
「あんなに一生懸命がんばったのに…」、「自分の想い、すべてを伝えたのに…」と報われなかったことに絶望を抱える方々は(筆者も含めてですが)世の中、大勢いらっしゃると思い、このメッセージをこれから書く長編の作品に取り入れての作品を書こうと思ったのですが、なかなか思い浮かばず、とにかく届けたい気持ちが強かったので、短い一文ですが、書かせていただきました。
【しりとりから始まる希望】
続いては、「しりとりから始まる希望」という作品についてですが、この作品はしりとりを文章にしたら、どうなるかな? という筆者の好奇心から生まれた作品です。
やはり思った通り、しりの文字、一文字という限られた条件のなかで、より不自然のない文章をつなげていく難しさを、とても感じながら書かせていただいております。
ですが、だからこそ、限られた条件の中で出来た一つの形が出来上がったときのおもしろさや感動があり、次はどんな しりとり文にしてみようかな。という好奇心が強く芽生えております。
現実世界でも同じように、与えられた限られた条件のなか、どのようにうまく生きていこう? と、この しりとり文のように考えながら、生活を組み立てていきながら生活していくと退屈に思える日々も少し新鮮さが芽生えるのではないでしょうか。
以上が、自作への想い 3 になります。
ここまでお読みいただいて、ありがとうございました。
また、今後も筆者の活動を応援していただけると幸いです。