6/3夕方に投稿したばかりの新作で、2千文字強の短編、初めての時代もの。
https://kakuyomu.jp/works/16818093078554679783神風に散る桜
第二次世界大戦終戦直前の神風特別攻撃隊のことを書きました。
まさか自分がこんな題材を書くことになるなんて。
今でもびっくりしています。びっくりし通し。
前回も書きましたが、戦争ものは悲しくなるから本当に苦手で、
自分からは絶対に見ないし読まないんですよ。
それなのに書いちゃった。どうしてかと言うと、
以前、Xの「#君・僕・死で文を作ると好みがわかる」タグで
明日、我が隊は、桜とともに散ります。実を結ばすに逝く僕を、君は泣かずに褒めて下さい。僕は君の居る国のために死ぬのです。
という文章を書いたことがあるからです。
それを6/3の昼頃に思い出して「これをこねくり回して何か作れるか」
なんて考えていたところに、
「1時間で書いた作品をnoteに投稿してコンテストに参加しよう!」
ということになったわけです。
真面目な話をします。
私は「戦争を知らない子供たち」と呼ばれるのが嫌いでした。
知らないものは知らないんですよ、そんなの仕方ないじゃないですか。
まだ生まれてなかったんだから。
知らないなら知らないで知ろうとすればいいわけですが、
さすがに子供の頃にあの凄惨な場面とか見せられるのはね……、
昔は規制もゆるかったからね……けっこう堪えましたね……。
ただ、その分、真剣に考えてはいました。
小学校からずっと学校で「戦争はよくない」という教育を受けてきて、
見せられる資料が凄惨であればあるほど、
平和って大事なんだなと思っていました。子供ながらに。
ちなみに「火垂るの墓」の原作には、主人公の少年・清太の
ほんの少しの性的衝動も描かれているのですが、
そこは学校教育ではばっさりカットされていましたね。
(教わったのは高校の現代文の授業でした)
そりゃカットしてもしょうがないけど、どうせ学ぶなら全てを学びたかったな。
いやまあ、それはいいんです。
ちょっと愚痴ってしまいました。
で、何が言いたいのかというと、戦争ものは苦手と言いながらも
毎年8月15日にはテレビのニュースを見て神妙な気分になるし、
時には(気まぐれにですが)上記の「明日、~」という文章を
Xに書くこともあったりするわけです。
自分は意外としっかり平和というものを考えているのかも、と気付きました。
前述の「凄惨であればあるほど~」が真理だとしたら、
「物語が悲しければ悲しいほど平和の重要性を痛感する」のもまた真理でしょう。
だからといって、じゃあこれから戦争ものも読むんだな?と言われると、
答えは「NO」なんですけどね……。
(´;ω;`)だって悲しいじゃん。
ではみなさま、ごきげんよう。