こーんにーちはー!
6月6日 PM6時 という悪魔の時間に【少女の殺意は毒と硝子で出来ている。】を更新します!
偶然にもこのような時間に更新できることを嬉しく思います。
やったね!わたし頑張ったよ!
さて、今回の話では尊重されるべき信仰についてさらっと書いています。
なぜさらっと書いたかというと、信仰はさらっと認められるものだと思うからです。
わたしの好きな言葉の一つに
「信仰する自由を信じている」
というものがあります。
わたしは日蓮宗のお寺に父方の先祖代々のお墓があり、母方は真言宗です。
春の御墓参りに行くともらえる甘茶飴は今でも大好きです。
結婚式は神社で行い、白無垢、色打掛、ウェディングドレスを着ました。
もちろん、七五三もしたし、親にお宮参りもしてもらいました。
とある神社では巫女として巫女舞もしたことがあります。
そして小学生時代には一番仲がいい友人がキリスト教とだったため、クリスマスは教会のパーティーに参加し、大学生の頃はドルイド教のハロウィンもお祭りとして楽しみました。
偶像崇拝が禁止されているイスラム圏で発達した美しい美術様式も好きですし、ブードゥー教の恋の呪いも使い方さえ間違えなければとても夢のあるものだと思います。
道教の雰囲気はまさにオリエンタルでとても好みです。
来来キョンシーズのビデオをよく見ていました。
ユダヤ教の「兵隊よりも子供の教育」という考え方には大いに賛成です。
日本人に限っていうと、お地蔵様を蹴ったりしませんよね?
そういうことです。
信仰はそれを行わない人にとってはただの日常を豊かに過ごす『心得』くらいのものです。
しかし、真剣に神を信じ、神の子としてより良い人になろうと修行をしている人にとっては『命』に組み込まれたある種のパワーのようなものです。
それをぞんざいに|貶《けな》したり、|蔑《さげす》むことはとても残念な行為です。
だからこそ、信仰を胸に生きる人々もその信仰を盾にして他の宗教を愛する人を攻撃することは神の望む生き方とは違うのではないかと思います。
他にも、悲しいのはこういう行為です。
AさんとBさんは同じ宗教を信じています。
Aさんが信仰の違いや神の名を盾にCさんを攻撃しました。
Bさんは愛している神の名をAさんの非道な行為によって|貶《おとし》められたことに傷つきます。
Bさんはその後、自分の愛する神に対する他人の恐れるような目を感じ、さらに心を傷めることになってしまいました。
日本は島国です。
自分とは違うものに対して表立って差別はしないものの、区別をする習慣がつきやすい環境にあるのかなとは思います。
でも宗教に関しては良い意味で無頓着であり、そのおかげか割と寛容です。
しかも自然にそう育っているような気がします。
それもこれもお地蔵さんや八百万の神といった『身近なものに宿る優しい存在』という考え方が浸透しているからなのかな、と思っています。
ではまた!
月森はなまる