作中で述べられている銀山や銀について私の考え(設定?)を書きます。
石見銀山遺跡発掘調査概要9 (1998.3) 島根県大田市教育員会
上記の報告書の5ページに「天正9年(1581年)7月5日付の石見銀山納所高注文『毛利家文書』」の記述がありそこには
「合わせて年間銭33,072貫、銀にして115貫752匁であった」
とあります。
3万3072貫は銀の質量ではなくお金の単位だと思います。
よって
33072✕1000文=33,072,000文
書籍【戦国 経済の作法】より
米1石 1429文(1567年当時) なので
33,072,000文÷1429文=約23,143石 になると思います。
上の2万143石に相当するのは朝廷に収めた分だけですので取れた銀の量はもっと多いはずです。先程の資料には数百貫以上あったと記載されてます。
もっと後の年代、慶長から寛永期にかけてが最盛期で八千貫から一万貫(質量)あったと書かれています。
なのでざっくり大森銀山を石高に換算すると最大50万石と考えています。
次に銀をお金に換算した場合ですが
銀1貫(重さ)=米20石とします。
銀1000貫=20000石
20000石✕1492文=29840000文=29840貫(お金)
お金1貫=8万円(設定)
29840✕8万円=23億8720万円
というような計算でやっています。
よろしくお願いします。