こんにちは。前回の近況ノートに、今すぐに失踪せりみたいなことを書いていたんですが、身近な人にすべてを発散しまくるということでだいたいは解決してきました。原因を自分で考えるに、体育会系みたいなシステムのもとで、手当たり次第になんでも放り込んでいった後で一体どうなる?➡主催者が全部忘れてた、みたいな集まりの結論部分に立たされて、常時煮え切らなさがうずまいていた為だと思います。
まあやる気もメンタルにも村があり、だいたいは「こんなしょうもないこと誰も知りたくない。誰も見たくない。わたしも見たくない。➡手が臭い」みたいな感じになってくるのもふつうのことなので、これからも周りの人を少しくらいは頼ってがんばりたいなと思えて来ました。
「書こうかな」と思っていた小説まだ書き足していません。これまでで感じたのは、あれこれ可能性がある芽みたいな部分に、その日のコンディションで継ぎ足していったあとでにっちもさっちもいかなくなるみたいな強烈な数週間を何度か繰り返したあとで、手を付けることさえままならないっていうきもちがあるんだと思います。昔はどうしてたのかな?というと、それでも未知の領域に対するわくわく感があり、わたしはそっちに向かって知りたさでダークな感情を追いやって進んでいっていたのかなと思う。ここ最近は知りたいことが何もない、結論なんてすべてもうわかっているというなかで、自分は何なのかが強烈に分かり始めたところにいて、それでもやるというのは本当に「倦怠」な気がしています。倦怠の感情に似ているんです。理解はいったいどこへ行ってしまったんだろう?・・・そう考えつつ、元気が出るのはこつこつ形の研究者気質の人がいろんなことを考え生きている現場を遠目から見ていることです。わたしもそんなふうにわからないを分かるに変えていくときに一番のやりがいを感じていたのだと思います。文学はファッションか・・・?それとも誰かを救うものか・・・?そう未だに考えつつも分かってくれる精神はどこかにあるのだと信じて、やりたいことを燃え尽きさせないようやっていくしかないのかなと思います。とりあえず自分はそういう人間なんだと言う感じがしています。