「愛が壊れる前に ここへ」第6話を投稿いたしました。
今回は、1枚の死亡診断書をめぐる園崎と真城の対立を描いています。
作中で登場した死亡診断書を、イメージ資料として作成してみました。
※画像は本作のために作成した架空のサンプルです。実在する人物・医療機関・死亡事例とは関係ありません。
作中で園崎が語った「老衰」という死因の扱いは、もちろん小説上の極端な設定であり、現実の医療現場で許される行為ではありません。
ですが、現実の「死因究明」は、私たちが想像するほど単純ではないのも事実です。
死因を医学的に100%確定させるには、警察の捜査、司法警察員による検死、司法解剖など、膨大な「時間・予算・人手」が必要になります。しかし、慢性的な人手不足に悩む日本の法医学や行政に、すべての死亡例を精査する余裕はありません。
国や制度は「正確な死因を書け」という正論を掲げます。
しかし現場には、それを確定させるための十分な資源が存在しない。
さらに、もし「事故死の疑い」となれば、大切な家族を失ったばかりの遺族が、警察から疑いの目を向けられ、過酷な取り調べを受けることになります。
だからこそ、現場と行政の間には、誰も明確に口にしないまま、制度の隙間を受け入れてしまう空気が生まれてしまうのです。
そこに明確な悪意があるとは限らない。誰かが意図的に真実を隠そうとしたわけでもない。
「本当に熱中症だったのか?」
「それとも、老衰や認知症による身体の限界だったのか?」
「その違いを、誰が、どうやって証明するのか?」
園崎の論理は、決して正しくはありません。
しかし、完全な間違いとも言い切れない。だからこそ、真城は反論できませんでした。
制度が掲げる理想。
現場が抱える限界。
遺族の救済。
そのすべての「隙間」を誰よりも深く理解し、自分のシステムに組み込んでいることこそが、園崎宗一郎という男の本当の恐ろしさです。
「園崎は間違っている」と思う方も、
「しかし、現場の限界も分かる」と思う方もいるでしょう。
本作で描く『ラベンダーの里』は、その両方が同時に成り立ってしまう場所です。
明後日の第7話も、どうぞお楽しみに!