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エンドルフィンの機構。曇り空の下、サルヴァドールの行方。

混然する道路を通り、暗部を直進したのち、最初に目に映ったのは白日であった。

過去と言い換えてもよい。景色は流れることを想定し、成り立っている。
しかし、この場合、成立しているのは『我』と『曖昧』であり、流れると言うよりも、絵の具の一滴のように、まるで影響をもたらさない。が、それ自体に目が眩む輩は多い。それこそが『我』である。

有象無象に顔をつけ、名をつけ、満足する我の集合体である。
まるで車輪の輪廻だ。曖昧さを嫌う者ほど、その輪廻に飲み込まれていく。

不思議なことに『我』であったはずの固有は、その中では『我』としては機能せず、有り余る点の一つになる。

では、一体いつから『我』と成り得るのか。

おおよその検討では、モンブランの甘さに比例すると言われている。
渋味と甘味のちょうど中間。その中間点をXと仮定し、直線上にあるドクトリンを飽和させると、きっかり3分となる。
所詮、時間や季節等という概念のない幼子と同様に、その3分間のみに許された『我』の形成。待ち受けるヒエラルキーも知らず、ただ純白であり、あろうとする最後の時間。

蕎麦つゆを不粋と切るならば、高度の直角を用いるべし。
直角を用いずに推し量ろうとすれば、今度は『曖昧』が押し寄せる。

例えば、ここに生殖器を持たないスペイシーモンキーがいるとしよう。
彼あるいは彼女らは、その代替として、群れを成すことそのものに一定の興奮を覚えるのだという。結果、予定調和と想定範囲の遥か那由多から、未踏の指数を用いて、彼女あるいは彼らは子を宿す。第二期文明において、これは間違いようがない事実であるが、現代社会にとっては、些か驚異となる。

そして仮初の勇者は声高に叫ぶ。
「今こそ悪を討ち滅ぼさん」と。

2件のコメント

  • モンブランが出てくるまではついていけてたのにっ!
    近況ノート楽しませていただいております☺
  • これが藤沢さんのオナニーですかー
    自分には難解過ぎて、意味不明ですが、必死に頭絞って、捻り出した文章なのは分かります

    創作ってその人の性癖やリビドーが現れるものだと思ってますが、目的も意図も、その空気感さえ全く異なるのが創作の面白いところでして

    意味が分からない乱雑な単語の羅列、意味を伝えるつもりのない自己満
    でも、文章には読ませる力というか、読み易さがある

    そんな印象でございました

    ……ごっくん、ごちそうさま♡
    いっぱい濃いの出たね♡
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