5月。桃色の花弁が散る季節。
後宮で大きな産声があがった。
それと同時に赤子の声を上回るほどの女性の叫声が後宮に響いた。
「いやぁああああ!私のっ、私のリルがッ、息をして、ないっ」
途切れ途切れの言葉。泣き叫ぶ女性の腕の中には、ぐったりと動かない女の子の赤ん坊がいた。
一方で女性の脇に控える侍女の腕の中には元気に泣き続ける男の子の赤ん坊がいた。
泣く声が耳に入ったのか。
女は鬼のような形相で泣き続ける赤ん坊を見た。
「お、お前の、お前のせいだ!お前も私のお腹のなかにいたからっ!だからリルが!リカルド!あんたが私のっ、私のリルを殺したんだッ!」
「王妃様!やめてください!」
「ちがいます!王女殿下の死は王子がいてもいなくても変わらな…」
「いやぁああああ!リルを返してぇ!リカルドなんかいらないっ」
「お、王妃を取り押さえろ!」
「っリカルド!お前の!お前のせいだ!どうしてリルが死んでお前が生きているのよッ!私のリルを返してぇえええ!」
さきほどまで元気に泣いていたはずの赤子はもう泣いていなかった。否、泣いてはいたが息を殺すように静かにその赤子は泣いていた。
本能で悟ったのだろう。
「うぅぅ。リル。リルぅぅ。リカルド、許さないっ。この人殺しッ!」
リカルド・アトラステヌは生まれたその日から罪人となった。
物心つくころからおれは孤独だった。
政や戦争にかまけて家族を顧みようとしない父。
亡き姉王女を想いおれを憎む心の病んだ母。
グラディス家を筆頭とした近衛騎士たちやアリス、城のメイドや庭師たちは父と母の代わりにおれを慈しんでくれた。彼らのおかげで心が廃れることはなかった。
だけどどんなに彼らが尽くしてくれても心が満たされることはなかった。
所詮は主従の関係。おれと彼らの間には目には見えない壁がある。おれが求めるものを彼らは与えることができないのだ。
悲しいという感情はあったのだろう。
寂しいという感情もあったのだろう。
愛を切望していたに違いない。
しかし時が経つにつれて、おれは何の感情も感じなくなっていた。
幼心に理解したのだろう。
なにを思っても、言葉にしても、手を伸ばしても、なにも変わらない。
それがおれの運命なのだと。
唯一感情が動くのは母の侍女に女物のドレスを着せられるときだけ。
不快。嫌悪。屈辱。
母の機嫌を取るために侍女たちはおれを女装させて王妃の元へ連れて行く。
もともとその兆しはあったのだそうだ。姉王女を亡くして母は完全に壊れた。彼女は心の病を患い部屋にこもる日々を送っていた。
あの人が正気のときは女装したおれを見て、「リカルド」に対し罵詈雑言を浴びせたり甲高い声で叫んだり物を投げつけてくる。
あの人が狂っているときは女装したおれを見て、顔をほころばせる。猫なで声で「リル」を自分の元へ招きあまやかして愛でて菓子を与える。
「リル!まあかわいい!今日は黄色のドレスなのね」
今日は狂っている日だったらしい。
あの人は着飾ったおれを抱きしめる。やさしくてあたたかい。それがとても気持ち悪い。だけど感情とは裏腹に自分の手は母の背中にまわり、
「かわいいかわいい私のリル。リカルドなんていらない。あなたさえいてくれれば、それだけでいいの」
結局母を抱き返すことなくその場に力なく落ちる。いつものことだ。なにも感じない。
「あなたはほんとうにかわいい。天使のようだわ。愛しい子」
あの人はおれに笑いかけ頭をなでる。
「ふわふわの髪はお父さまに似たのね」
あの人はやわらかい笑みを浮かべながらおれの額にキスをおとす。
「そうだわ!リルに似合うドレスをつくってもらったのよ!あなたの瞳と同じ淡い空色のドレ、ス……」
侍女が気づいたときにはもう遅かった。
あの人はおれの瞳を見てその場に崩れ落ちていた。
おれも。あの人も。夢から覚める時間だ。
「ちがう。ちがうちがうちがう!お前はリルじゃない!リルをどこへやったの!?私のリルを返して!?リカルド!私のリルを返してぇええ!」
「王妃様っ」
「ッ離してェエエエ!リル。どこなの!?リル!」
色を失っていく世界。
なにも感じない。
ただ目の前で女の人が叫んでいるだけ。
なにも感じない。
ただ目の前で女の人が手当たり次第に物を投げつけてくるだけ。
なにも感じない。
ただ目の前にいる女の人がおれに向かって手を振りあげているだけ。
なにも感じない。
鉄の味がしただけ。
なにも感じない。
なにも感じない。
なにも感じない。
不用心にも部屋の扉が開いていたらしい。
たまたま部屋の前を通りかかった王がこちらを見て、表情一つ変えず通り過ぎて行く。
なにも感じない。
///////★
「不快だ」
「なによいきなり!?」
隣に立っていたリディアが怪訝な顔でおれを見てきた。
方向音痴のふりをしてアリスを撒きリディアと2人きりで過ごす静かな時間。見上げた空はまだ17時だというのに夕日の橙と夜の闇がまざった色をしていた。
秋ももう終わりを迎えようとしている。
つまりおれはもうすぐこの孤児院を出なければならない。
リディアは光の巫女だ。運命通りに生きなければならない。……おれが去った後にやってくる冬の国のガキにこいつは色目を使わなければならないのだ。
不快だ。
空を見上げるおれを見てリディアはおれの考えていることが分かったらしい。にやりと口の端を吊り上げる。
「そういえばもうそろそろお別れね。ふふふ~。リカってばかわいいところあるじゃない。嫉妬ぉ?」
「……。」
「ちょ、ちょっと。なんか言いなさいよ」
腹の立つ顔だが不快な気持ちにはならない。
普段あいつらに見せている薄気味悪い笑顔ではない、他のやつらは知らない演技をしていない、おれにだけ見せるほんとうの顔。
頬がゆるむ。
「ちょッ~~~!?」
腕を引っ張ればリディアは重心を崩しこちらに倒れかかってくる。そんな彼女の頬にキスをすれば、ぼんっと目の前の少女の顔は真っ赤に染まるのだ。
「フッ。おれがかわいい?お前には負ける」
「ぬぅぅうう。リカぁああ!」
真っ赤な顔で喚き散らしながら唾を飛ばしてくるガキ。汚い。なのにこいつを見ていると溢れ出すこのあたたかい気持ちはなんなのだろうか。
いやおれはこの感情の名を知っている。
きっとこれが愛なのだろう。
手を伸ばし頭をなでればリディアは喚くのを止めおとなしくなる。チラチラと上目遣いにこちらを見ながら、その顔をさらに赤く染めるのだから愛しくてたまらない。
「好きだ。リディア」
「っと、唐突」
「お前は?」
「へ……。」
リディアが間抜けな顔で口を半開きにしていたのは一瞬のことだった。
顔を赤く染めて急いでおれから顔をそらすあたり、こいつは確実におれの言わんとしていることがわかっている。なのにとぼけて気づかないふりをしているのだから苛立つ。
「おれは今まで家族なんていらないと思ってた。むしろほしくなかった。まして自分が誰かを愛するなんて思いもしなかった。だけどおれは今、お前が欲しい。お前を前にすると消したはずの感情が溢れる。いらないと思った感情が愛おしく感じる。…お前の気持ちを知りたい」
ぷしゅー。リディアの全身から湯気が立ち上がる。
「普段無表情のくせに。クソ。寡黙ミステリアスめ…」とボソボソ言っているが、おれが聞きたいのはそんな言葉じゃない。
手を握ればリディアが潤んだ瞳でおれを見る。
ぱくぱくと金魚のように口を開閉し、やっと彼女は気持ちを言葉にする。
「……私も好き。大好き」
つないだ手の指と指が絡み合う。
「短い時間だけど私の人生をあんたにあげる。私がリカに家族を作ってあげる」
額と額がぶつかりリディアがふわりと笑う。
幸せな時間。
かみしめるように、刻み込むように、握る手に力を込める。
リディアはおれに自分の人生をくれた。
だけどその時間はほんとうに短い。短い。短すぎる。
1分1秒が惜しい。国になんか帰りたくない。終わりが来るその日までずっとリディアのそばにいたい。だけどそれは許されないのだ。それが運命だから。
おれは願う。
時が止まることを。
この時間が永遠に続くことを。
でも時間は進む。
どれだけの時間そうしていたのだろうか。
「リカ。みんな探してるだろうし、帰ろ?」
立ち上がりおれに手を伸ばしたリディアを包むように夜の闇が広がっていた。
月がきれいだった。
「…リカ」
「なんだ」
風に吹かれてリディアの短い金色の髪がふわりと膨らむ。
「死んでもいいわ」
「……。」
この女は不意を突いてくるのが得意だ。
顔に熱が集まる。
「……おれはまだ月がきれいだと言っていない」
つぶやけば今度はリディアの顔が真っ赤に染まった。
「は!?え、うそ。リカ、この言い回し知ってるの!?知らないと思ったから言ったのにっ!ば、バカぁあああ!」
リディアは顔を両手で隠しながら走って行ってしまった。
気が動転しているのか彼女が走っていった方向は孤児院とは真逆だ。苦笑して彼女の後を追う。
それは幸せな、幸せな、当たり前の日常の光景の一つだった。
この日常には終わりがあるということをおれはわかっていた。わかっていたはずなのに、このときはまだそのことを自覚していなかった。
それほどまでに幸せで愛しくてかけがえのない日々だったのだ。
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というわけで、おわりです!
1回目の世界のリカの幼少期の話です。
自分で書いておいてなんですがリア充爆発しろ(殺)って感じの話でしたね笑。
ちなみになのですが、一章でアルトはリディアに対し、いつか死んでもいいわと言わせてやる!と意気込んでいました。
ですが今回のSSを見てわかるようにリディアは1回目の世界で死んでもいいわ発言しちゃってるんですよね~。しかも相手はリカ!恋敵に負けちゃってますよアルト君。「プクク~。アルトってばかわいそ~」とか思いながら作者はこれを書いていました。
2回目の世界では誰がリディアに「死んでもいいわ」と言わせるのか。楽しみですね。
このSSを読んでくださって、この物語を読んでくださっていつもありがとうございます!
今後は週1、2の投稿になりそうですが、更新頑張ります! 今後も読んでいただけるとうれしいです。