最近、群衆心理について調べています。
きっかけは、人がなぜ集団の意見に影響を受けるのかという素朴な疑問でした。しかし調べていくうちに、自分が本当に興味を持っているのは、群衆に流される危険性そのものではないことに気付きました。
私が興味を惹かれたのは、人が集まり、一つの集団を形成し、その集団が時間の経過とともに変化していく過程です。
人は共通の価値観や目的、関心によって集まります。そして集団が形成されると、その中には自然と共通の考え方や空気が生まれます。
最初は緩やかなつながりだったものが、やがて「私たち」という意識を持つようになります。同じものを好み、同じ方向を向き、同じ言葉を共有することで、集団としての輪郭が少しずつ形作られていきます。
しかし興味深いのは、その先です。
集団の結束が強まれば強まるほど、その内部ではわずかな解釈の違いや価値観の差異が目立つようになります。
外部から見ればほとんど同じように見える人々であっても、当事者たちにとっては重要な違いが生まれます。
そして、その違いはやがて派閥となり、派閥は分裂を生みます。
ところが、分裂した集団はそこで終わりません。
それぞれが新たな集団となり、再び共通の価値観を育て、再び結束し、そして再び差異を生み出していきます。
その様子を見ていると、まるで生物の細胞分裂を見ているような感覚になります。
一つだったものが二つになり、二つになったものがさらに枝分かれし、それぞれが独自の形を持ちながら増えていく。その繰り返しです。
興味深いのは、この現象が特定の分野だけで起きるわけではないことです。
政治や宗教のような大きな集団だけでなく、趣味のコミュニティ、創作界隈、SNS上の交流、職場、人間関係など、規模の大小を問わず似たような構造が見られます。
また、この過程は必ずしも悪意によって生じるわけではありません。
むしろ多くの場合、人々はそれぞれ誠実に考え、自分なりの正しさを信じながら行動しています。
だからこそ私は、群衆心理を「悪人が引き起こす問題」とは考えていません。
人は悪意によって動くこともありますが、それ以上に、共感や所属意識、信頼、正義感、思い込みによって動くことが多いように思います。
そして、それらが積み重なった結果として集団が形成され、変化し、分裂していくのです。
さらに考えていて興味深かったのは、群衆心理に抗うことについてです。
私は、群衆心理に抗う力は知識だけでは得られないのではないかと考えています。
多数派が間違う場面を見た経験。
自分自身が思い込みによって判断を誤った経験。
善意や正義感が、必ずしも良い結果を生むとは限らないことを知った経験。
そうした経験の積み重ねによって、人は初めて「本当にそうだろうか」と立ち止まることができるのではないでしょうか。
しかし、それでも完全に群衆から自由になることはできません。
なぜなら、自分自身もまた何らかの集団に属し、その影響を受けながら生きているからです。
だから私は、群衆心理を「他人の問題」として見ているわけではありません。
むしろ、自分自身もその一部であることを前提として観察しています。
群衆心理を調べているつもりでしたが、気が付けば私が見ていたのは、人間社会そのものだったのかもしれません。
人は群れを作ります。
群れは価値観を共有します。
価値観は結束を生みます。
結束はやがて差異を生みます。
差異は分裂を生み、分裂したものは再び新しい群れとなります。
私は、その終わりのない循環に、人間という存在の面白さを感じています。