とあるアニメ作品の脚本家さんが、「原作からアニメ化するにあたって不要となり得る描写をなくした」と語っていたエピソードで賛否両論が盛り上がってるのを見ていたんだけども。
まぁ、要するに「ストーリー上不要な」入浴シーンとかキャラ同士が胸のサイズを語るようなやり取りは削ったって話なんだけど、「性的搾取」や「ノイズとなる」って言葉で脚本家さんやインタビュアーさんが語ったが故に、なんかもう色々燃えていて。
ぶっちゃけてしまえば、私個人としては、「創作にエロは欠かせんよ」なんですよ。
エロって一言で言うても、行為そのものばかりじゃないわけですよ。
見たものの美しさを永遠に残したいと願って、ミケランジェロが彫った裸体像みたいに、芸術として昇華されるパターンとか。
極端な話、文化とエロは地続きだと思っているし、アートに関しては「美しいと思うもの」「琴線に触れるもの」には、がっつりか薄っすらかの違いはあれど、エロが関わってくる。
特に文章なんて、内に向けて醸造されきった趣味嗜好の凝り固まったものを書いているのでね。
創作者はみんな、その趣味嗜好の煮凝りをいろんな味付けに変えて出しているというか。まぁ、自分はそうなんですよ。
そして、どんなエロも、必ず誰かを傷つける。
どう足掻いても、誰も傷つけないエロなんてものは存在しなくて。
お色気シーンは性的搾取だ、って言われちゃったら、まぁそう受け止める人もいるよね、って。
だからこそ棲み分けしてたんだと思うんだよね、深夜番組なんてのは。
ゴールデン帯でやるものには、努力・友情・勝利。深夜帯はエログロエンタメ、みたいに。(そう思うと、「シティーハンター」のアニメがゴールデン帯でやってたのは謎でしかないけど、まぁ時代が時代だったってことで良し?)
配信がある今、それが通用しなくなったってことなのかな。
一つ思うのは、配慮に配慮を重ねた結果、無味無臭のものしか残らなくなった世界線になったら、面白くないよねって。
もちろん、アップデートしていかなきゃいけない価値観ってのは多々あるんだけども。
あくどい大人はいっぱいいて、それに阿る人がいて、理不尽な思いをしている大人と子供がいて。人々は、理想とは程遠い現実を生きている。
だからこそ、束の間のエンタメで溜飲を下げる時もあるわけで。
エンタメにはそういう側面があるっていうのも、忘れたくないなと思う。
どうしても、誰も傷つけない表現っていうのはできないからさ。
自分の言葉は常に刃なんだ、と。その意識だけはしていこうと思います。
っていう、オチのない話なんですけどね。
ぼんやり考えていたことを書き連ねてみた。