週末の深夜なので「悪いヤツ」について思うことを。
「荒木飛呂彦の漫画術」と「荒木飛呂彦の新・漫画術 悪役の作り方」を流し読み。
JOJOなんかが好きで荒木ファンだと「新・漫画術」を読んで、わかるわかるってなるのでしょうけど、(この本では)正直その魅力的な「悪役」が(小説や漫画で)書ける気がしない。
まあ、ディオみたいなキャラを真似る感じで終わりそう(本の中では自分自身の悪役を作ろうっておっしゃってますけど)。
荒木先生は、「主人公の「正しさ」に対する「悪」とは何かを【とことん考えなければ成り立たない】、そこが悪役を作るときの難しさでもあり、おもしろさと言えます。」と書かれていて、【悪役には作者の哲学が反映される】と言っています。
本当にこの二冊は〇〇術と書いていながら、本文にもありますが「王道を指し示す地図」なので、簡単に書けるわけではないことを教えてくれる本だったりします。
ギャグ漫画だとそのほうが良いのでしょうけど、悪役がペラい(?)とお話全体もペラくなる(?)(異論は認めない)。この正義の対立概念だと思われる「悪」やら「悪役」については自分なりの哲学(とまではいわないけれども考えくらい)は整理して持っていなければならない。
みなさんの「それ」は哲学ですから、その数だけあると思われます。水戸黄門的な分かりやすい「悪」でも、バイキンマン的なゆるい「悪?」でも、胸糞系の「悪」でもなんでもよく。
なんでも「歎異抄」によれば、シンランさんの言う事を信じるのならだけど、ネンブツを唱えればすべてアミダさまという究極的にスゲー存在が、オールオーケーにしてくれるらしいので、どんな「悪」を妄想しようとも問題ないらしい(実行するのはもちろんおすすめしないし、悪人正機説の卯月の間違った解釈かもしれん)。
そんな感じで昨日から「悪」についていろいろと読んだり考えたりしていた卯月であります(なんか悪いモノが蓄積されているもよう)。
そんな中で面白いものを発見(まあ、これが貼りたかっただけだけど)。
みなさんは中野好夫を知っているだろうか。ウィキによれば英文学者で評論家、英米文学翻訳の大家だったりする。太宰を批判して(短編について、読んだけど翌朝になったら何も残ってねえや的なやつ)太宰からも悪口というか抗議があったことで有名です。
「もはや戦後ではない」という流行語にもなった言葉は、中野好夫の評論のタイトル(1956年度の『経済白書』の序文にこの言葉をパクって書いた後藤誉之助あたりがオリジナルだと思われがち)。
そんな中野好夫のエッセイの中に「悪人礼賛」というかなり刺激的な文章があります(有名なのかも)。
ネット上にその全文があったので(20年ほど前からある)ここに。
http://www.bluesky-ml.org/archives/6238.html『ぼくの最も嫌いなものは、善意と純情との2つにつきる。』という書き出し。善人に対する悪人についての内容ですけど、とても参考になりますし、おもしろい。いくつかの漫画・アニメキャラのことが頭に浮かんだりする。
魅力的な有名悪役にはもちろん到底及ばない小悪党の卯月の深夜のひとりごと。
マネスキンのダミアーノあたりを悪役イメージにすると面白いのが書けそうな気がしている。(それにしても天才だわ、このバンド)
Beggin' Live From the American Music Awards 2021
https://www.youtube.com/watch?v=Qdkt3I5-FG4では。