最近、ふと「物語を書くこと」について考える時間がありました。
昨今、AIによる創作支援が話題になることも多いですが、今日は少し、私が物語とどう向き合っているか、そして「創作における熱量」について、少し真面目な話となります。
物語を生み出す方法は、時代とともに変わってきました。
かつては紙とペン、やがてワープロやPC、そして今はAIという選択肢があります。
ここで私が思うのは、「何を使って書くか」よりも、「どういう想いで書くか」こそが、作品の質を決めるのではないか、ということです。
例えば、「紙とペンで書いたから名作になる」わけではありません。
逆に、「PCを使ったから優れた作品ができる」わけでもありません。
同じように、「AIを使ったからといって、自動的に面白い物語ができる」わけでもなければ、「AIを使わなかったからといって、無条件に素晴らしいと評価される」わけでもないと私は思います。
道具はあくまで道具です。
高性能な包丁を使ったからといって、料理人の腕や「美味しいものを食べてほしい」という想いがなければ、料理は味気ないものになってしまうのと同じです。
私は、文章を書く能力に自信がない人や、頭の中にある壮大な世界をうまく出力できない人が、AIという「相棒」を使って物語を形にすることには、とても大きな意義があると考えています。
それは、これまで埋もれていたかもしれない才能や想像力を、世に解き放つきっかけになるからです。
だからこそ、もし今「読むだけの人」であっても、頭の中に自分だけのストーリーが眠っているのなら、一度それを表現してみてはいかがでしょうか。
道具は何でも構いません。
書き始めたその瞬間、きっとあなたは新しい世界の主人公になれるはずです。
かつて、頭の中にある景色をどう形にすればいいか分からず、それでも物語を紡ぎたいと願った私がそうであったように。
最終的に作品に命を吹き込むのは、やはり作者の「哲学」であり、「熱量」です。
どんなに便利な道具を使っても、そこに作者の「こだわり」や「愛」、そして「どうしてもこれを伝えたい」という切実な想いがなければ、それはただの整った文字列に過ぎません。
逆に、たとえ拙い表現であっても、作者が魂を削って向き合った作品には、読み手の心を揺さぶる独特の「味」が宿ります。
物語とは、作者がその世界とどう向き合い、どう愛し、どう表現しようともがいたか――その「生き様」のようなものが、行間に滲み出るものだと、私は信じています。
私もまた、この作品に対して自分なりの哲学と、ありったけの熱量を込めて向き合っています。
イシューやルナたちが選ぶ運命のように、私自身も「どう物語を紡ぐか」という選択を繰り返しながら、皆様に楽しんでいただける世界を届けていきたいと思っています。
第二部が始まり彼らの旅路は、まだまだ続きます。
書き手と読み手という垣根を越えて、この予測不能な冒険の旅を、一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。