皆さんは、物語を読み進めるなかで、誰に一番心を惹かれますか?
もちろん、健気に歩む主人公や、愛らしいヒロインたちも大切です。
ですが、私は物語の構成で「悪役」こそが、作品の命運を握っていると本気で考えています。
今回は、私がこの物語を紡ぐうえで最も心血を注いでいる要素の一つ、「悪役」の在り方について、少し考えを整理してみました。
■ なぜ、私たちは「悪役」に惹かれるのか
名作と呼ばれる物語には、必ずと言っていいほど「愛すべき、あるいは憎みきれない悪役」が存在します。
ベジータ、フリーザ、セフィロス、鬼舞辻無惨、DIO、ジョーカー、ダース・ベイダー……
彼らの名前を聞くだけで、その圧倒的な立ち姿が脳裏に浮かびませんか?
時に彼らは、主人公以上に読者(視聴者)の支持を集め、物語の「顔」となります。
それは一体なぜなのでしょうか。
それは、彼らには一切のブレがない「哲学」があるからだと私は思います。
・己の『信念』のためにすべてを投げ打つ、明確な生き様。
・ただそこに佇むだけで空気を支配する、圧倒的なカリスマ性。
・己の「弱さ」を一片の迷いもなく断ち切り、ただ一人の「個」として完成された強さを誇る、孤高の『哲学』
そう、根幹にある「強さを求める渇望」は、実は主人公たちと何ら変わらないのかもしれません。
どちらも、何かを守り、あるいは何かを変えるために、己の限界を超えようとする。
決定的な違いは、その頂へ至る「道程」と、他者を犠牲にしてでも貫く強者としての「振る舞い」だけ。
私たちは主人公に自分を重ね合わせて「共感」し、共に成長します。
けれど、同じ熱量を持ちながら、私たちには選べない修羅の道を往く絶対的な悪役に対しては、共感を超えた一種の「憧れ」や「羨望」を抱くことがあるはずです。
己の欲望や信念のためだけに既存の価値観を拒絶するその姿は、ある意味で究極の自由であり、私たちが日常で無意識に抑圧している「何か」を体現しているのかもしれません。
■ 拙著における『至高の悪』――哲学と信念が生むヴァレリウスという絶望
この孤高の『哲学』を、拙著において最も残酷に純化させた存在。それが第二部の宿敵、筆頭賢人――『ヴァレリウス』です。
イシューの「絆」を穿つ、『虚無』の化身。
かつての友を裏切り、己の『信念』を完遂するため絶望すら必然へと変える彼。
その立ち姿に宿る『至高の悪』としての存在感を、ぜひ本編で目撃してください。
■ 最後に
「正義」が世界を救うためにあるのなら、「悪」はその世界を覆すほどの強烈な情熱で描かれなければなりません。
主人公を喰らうほどの輝きを放つ「悪の華」を咲かせてこそ、物語は真の完成を迎えると信じています。
その『至高』を形にするため……私は今、静かな熱を宿しながら、この一人の悪役と深く向き合っています。
イシューが紡ぐ「絆」という光が強ければ強いほど、ヴァレリウスが体現する「孤高」という影もまた深く、鋭いものになっていく。
その二つの道が交殺する瞬間に生まれる火花こそが、物語をより高みへと押し上げてくれるのだと考えています。
光が影を照らすように、影もまた光を形作る。
イシューたちの冒険の裏側で、静かに、しかし強固に横たわる「悪役の美学」――その一端に注目して読み進めていただければ、作者としてこれほど嬉しいことはありません。
今回は私なりの悪役論について、少し語らせていただきました。
影が深まるその時を、静かにお待ちください。