文豪と言われた小説家にはなぜか自殺した人が多い。太宰治、芥川龍之介、三島由紀夫(これは少し違うかもしれないが)、夏目漱石も晩年はひどいうつ病だったと言われている。
なぜか
これについては、「繊細、神経質、些細なことが気になる性格のゆえに高い文学性、芸術性を発揮した」と肯定的に評価する声が多い。ただ、これを逆さ読みすると「天寿を全うした小説家の作品は自殺した小説家の作品に比べて文学性が劣る」と言っているようにも聞こえる。
お前はバカかと言われそうだが、例えば自閉スペクトラム症の人の中には特定の分野で非常に高い芸術性を発揮する人がいる。これはその人が病気であるがゆえに発揮できた芸術性であり、能力や努力とは関係のない話である。もし病気を理由に高い評価を受けているとしたらこれは本末転倒ではないか。
画家のゴッホも自殺した。ゴッホのヒマワリや晩年の他の作品は誰がどう見ても「正常」ではない。でもそれが今では「高い芸術性」と評価されている。音楽家のモーツアルトも晩年は精神を病んで早逝している。でも人はその音楽が素晴らしいと評価する。
もちろん人が「自殺」するにはいろいろ理由がある。病気や経済的困窮など理由は様々であろう。文豪の自殺率が一般人の自殺率に比べて特段高いという統計もないし、ほとんどの作家さんは死ぬ直前まで執筆活動を続けておられるであろう。
でも「精神疾患であるがゆえに高い芸術性を発揮した」というのはやはり納得できないし、そういう評価の仕方もすべきではないと思う。