私はルシアン。好事家だよ。
……おや。知っている顔だという顔をしているね。
それなら話が早い。今日は館の外で、少し人形の話をしよう。
君は、ハンス・ベルメールという男を知っているかい?
知らない? それならちょうどいい。『人形師の偏愛』前篇を読んできた君には、なかなか面白い男だと思うよ。
もっとも、知らなければ物語が分からないというわけではない。絵を見るのに、美術史の試験へ合格する必要などないからね。美しい、気味が悪い、嫌い、よく分からない。何かを感じたなら、鑑賞はもう始まっている。
知識は入場券ではないよ。ただ、知ってからもう一度見ると、先ほどまでは見えなかったものが、ひょいと顔を出すことがある。
今日は、そのための眼鏡を一つ貸そう。
*
さて、諸君。人形というものを、どこまで人間に似せれば満足するのだろうね。
顔があり、胴があり、腕が二本、脚が二本。腕は肩から、脚は腰から生えている。私たちはそれを当然だと思っている。
だが、腕は本当にそこになければならないのか。脚は二本でなければならないのか。身体は、初めから一つの完成形なのだろうか。
そんな問いを、人形を使って追いかけた芸術家がいる。ハンス・ベルメール。1902年に生まれ、1975年に没したドイツの芸術家だ。
『人形師の偏愛』に登場するルルワとアベルを作るとき、彼の作品から借りてきたものがある。
といっても、人形の顔や姿ではない。写真の構図でもない。
借りたのは、身体を見る視線だ。
腕、脚、胴、関節。ひと続きに見える身体をいったん分け、それぞれを部品のように眺める。そして、別の形へ組み直してみる。
ベルメールは1933年、ベルリンで最初の人形を作った。翌年には、その制作過程を写した十点の写真を、小さな本『Die Puppe(人形)』にしている。
さらに1935年、彼はもっと自由に動かせる第二の人形を作った。球状の関節を使い、手足や胴をさまざまな形へ組み替えられる人形だ。
球体関節というと、滑らかな肌を持つ美しい人形を思い浮かべる人もいるだろう。だが、ベルメールの人形は、関節を目立たなくして人間へ近づこうとはしない。むしろ、「この身体は外せるし、替えられるし、別の場所へつなげられる」と見せつけてくる。
人間に似せて作ったはずのものが、人間にはあり得ない姿になってゆく。
ところが妙なことに、あり得ない姿になるほど、こちらはそこへ人間の痛みや欲望を見てしまう。
人形が人間に近づいたのか。それとも、見ている人間が人形へ近づいたのか。
君はどう思う?
*
ベルメールの写真は、1934年にパリの雑誌『Minotaure(ミノトール)』へ掲載され、シュルレアリストたちに知られるようになった。
彼らが面白がったのも無理はない。見慣れたものをばらし、別の結び方で差し出す――それはシュルレアリスムの得意な遊びだからね。
もっとも、ベルメールの人形は、ただの造形遊びではない。そこには強いエロティシズムがあり、少女の身体を扱う表現には、いま見ても不快さや暴力性がある。嫌悪を覚えても構わない。作品を嫌うことと、作品を見ていないことは同じではないよ。
一方で、ばらばらにされた彼の身体像を、当時のナチズムが掲げた「健全で理想的な身体」への抵抗として読む見方もある。
欲望なのか、反抗なのか。どちらか一つに決める必要はない。人形の中に、両方が棲んでいてもよいだろう。
*
『人形師の偏愛』は、ベルメールの人形を物語へ移したものではない。彼の作品にある性的な身体像や暴力性を、そのままルルワとアベルへ着せたものでもない。
借りてきたのは、人形そのものではない。
身体を、一度ほどいて眺めてみる視線だ。
興味が湧いたなら、ベルメールの《人形》を少し覗いてみたまえ。好きになる必要も、正しく理解する必要もない。見たとき、自分の中に何が起こるかを眺めればよい。
それから、もう一度ルルワとアベルのもとへ戻ってみるといい。
腕があり、脚があり、球体関節でつながれた、よく似た二人。
その身体は、本当にその形でなければならないのだろうか。
いまは、その問いだけを持っていたまえ。あの二人を最後まで見届けたなら、またここへ来るといい。
次は、身体をほどいたあとにも残るものについて話そう。
【主な参考資料】
・The Museum of Modern Art, “Hans Bellmer. The Doll. 1936”
https://www.moma.org/collection/works/43944
・The Museum of Modern Art, “Poupée. Variations sur le montage d’une mineure articulée,” Minotaure, no. 6, December 1934
https://www.moma.org/slideshows/1/15
・International Center of Photography, “Hans Bellmer”
https://www.icp.org/browse/archive/constituents/hans-bellmer
・San Francisco Museum of Modern Art, “Hans Bellmer, La poupée (The Doll), 1936”
https://www.sfmoma.org/artwork/82.57.1-10/