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「 ゲームが終わった後の冒険譚~トイレの使い方から始まる、カイルのアバター教育日誌~」各話に今回予告を追加しました。

「 ゲームが終わった後の冒険譚~トイレの使い方から始まる、カイルのアバター教育日誌~」(改訂版の方)各話に今回予告を追加しました。
https://kakuyomu.jp/works/16817330657060896543

 一話を除く各話に今回予告を追加。狙いは、この作品の本質の伝わりにくさを改善するため。
 順を追って話そう。まず問題なのは、我々が日々傍受している娯楽の正体とは何か?だ。
 それは刺激。日々のストレスを解消するための刺激だ。これは小説だろうが、漫画だろうが、映像作品だろうが、ゲームだろうが変わらない。
 しかし、刺激を得たところでストレスは消えないのだ。刺激は一時的に我々を気持ちよくさせてくれるが、すぐにその効果は切れてしまう。そして我々は、次の刺激を、もっともっと強い刺激を求め続ける。まるで麻薬中毒者のように、だ。
 それは無限に続く。餓鬼のようになって永遠に刺激を求め続ける無間地獄。そこを我々は彷徨っているのだ。
 過去の僕はそこからはい出ようとした。自分が完璧に満足できる娯楽を自ら作り、そこでこの地獄を終わらせるつもりだった。そして試行錯誤の末に、ようやく自分の欲に限りのない事を知った。
 要するに解決方法が違ったのだ。この問題を解決するには、問題の根本に目を向けねばならぬ。つまり、我々にストレスを与え続ける現実とどう付き合うべきか、だ。ストレスの多い人間ほど娯楽作品を必要とするが、ストレスの少ない人間はほぼそれを必要としない。大量のストレスを抱えながら大量の娯楽作品中毒を続けるのか、それともストレスを減らす道を探すのか、そろそろ好きな道を選んでもいいだろう。その一助をなすべきものとして書いているのが、この作品だ。
 舞台こそファンタジー世界だが、ゲームの中の住人の目で我々のリアル世界を観察させ、ストレスを生む病巣とストレスを受けずにそこでどう生活すべきかを見直す一助としようという訳だ。
 当然、てっとり早く刺激を与え続けてくれる作品に慣れた人にとって、こいつは分かりにくい。だから、それを少しでも分かりやすくしようと工夫したという訳だ。

 ちなみに「MFブックス10周年記念小説コンテスト」にも試しに応募してみたが、こいつは悪い冗談のようなものだ。彼等の求めている作品は刺激を数珠繋ぎにしたような作品であり、僕が書こうとしている物とは真逆のものだ。
 が、もしもこの文を彼等が読んでくれたのなら、なにかしらの問題提起にはなるだろう。求められるままに、永遠に刺激を増大させる事などできる訳がないのだから。

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