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『Lucifer(ルシファー)』について

 十年以上前ですが、問題のあった父を抱え、母も病を患い、何の因果か集団ストーカーのような被害にもあって、暗い気持ちでいた時に、YoutubeのMAD動画などに刺激され、アニメやゲームへのファンレターの一部としてこの物語を書き始めました。
小説や漫画、音楽、さらにはフィギュアなど、他の様々な創作にも影響を受けています。

 しかし、刺激をくれた作品たちの素晴らしさに加え、生来のヘタレのせいもあってか、話が進むにつれて、まるでバチ当たりな設定の言い訳か罪滅ぼしでもするかのように、どんどん話が明るく、建設的な方向に進んで行ってしまいます。
そして遂には、世の中のお役にも立ちそうな文明論まで考えついてしまいました(笑)。

 悪魔といえば、忌むべき題材かもしれません。
自然災害や害獣・疫病、異民族の脅威や社会的な逸脱と重ねて考えられてきました。
しかし、今や自然はどちらかといえば保護の対象となり、世界も一体化しつつあります。
我々自身の内にもある、紛争、差別、犯罪、精神失調などの社会学的・医学的な原因や、その対策も、解明・考案されつつあります。
科学技術の発展による社会の変化から、そもそも何が社会的かといった、価値観自体も変化し、あるいは多様化し続けてきました。
温暖な島国のせいでしょうか、日本にはすでに、社会の複雑な面を描いた『泣いた赤鬼』のような物語もあります。
キリスト教国においてさえ、その神話を題材として、新しい設定の物語が次々と作られている理由も、そのあたりにあるかもしれません。

 他方で、文明の発展は昔から見れば夢物語のようなことを実現してきました。
ただし、発展による社会の変化や、それに加わる歳月の経過によって、新たな課題が次々と生まれ、発展自体も加速化して、人間の方がついて行けなくなっているようなところもあります。
 
 新しい技術と、それを活かす政策が必要な時代だと思います。
私見では、人体のような自然物と、機械のような人工物の垣根を取り払い、人道的な手段によって人的資質を維持・向上したり、文明の利器をより自然や人間、社会に優しいものにして、双方の持続可能性を高めていくことが求められていると思います。

 ならばA.C.クラークの『幼年期の終わり』や永井豪の『デビルマン』のように、古代神話に出てくる悪魔と、未来に向けて進む科学技術を組み合わせてみたら、面白いのではないか?
技術の進歩でその存在感が脅かされている悪魔と、ますます進歩が加速して、人々に夢を与えつつも、他方で人類滅ぼしちゃうのでは? と心配もされている科学技術の取り合わせは、やはりギャップ萌えの対象です(笑)。

 そのうえで、そもそも文明って一体何なんだ? というところから、文明の発展をもたらす技術の出現から、社会や価値観の変化までを描き、考えてみたい。
いっぺんこれまでのお約束をリセットして、別世界の遠未来を空想してみよう。
そこでもなお考えられる大きな課題や、その解決策を考えられたなら、今の世の中にもある先行きへの不安や、自分のしんどい境遇も大したことない! とも思えるかもしれない(笑)。
そんな気持ちが、このような話を作らせたのかもしれません。

 実際、青鬼さんが報われて、真の悪者は一人もおらず、文明栄えて宇宙に満てよ、でも既存の科学技術や社会制度にあぐらをかかず、我々自身も高めつつ気をつけていこうね、という甘々なお話ができてしまいました。

 凶悪不吉で不気味な題名、堅苦しいほど勿体《もったい》をつけた中二病的な文体に反して、内容はいとも善良健全かつ脳天気、実はオタク趣味まで満載の物語です(笑)。

 色々な創作作品に刺激を受けて書くことができ、感謝しております。
ぜひご一読いただけましたら、幸いです。

1件のコメント

  • 個人的な意見で恐縮ですが、「ファイブスター物語の年表」みたいなイメージなんです。いっぺん口語体でカメラをキャラに寄せて書いてみません?
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