着実に書き溜めていたストックが無くなって行き、明らかに書くペースが遅くなっている今日この頃、皆様は如何お過ごしでしょうか。
現在、第36話を1250文字ほど書いている最中です。
今日中に仕上げたい。
さて、今回は私の最初の仕事について公開しようと思います。
私は一度転職していて、20歳で勤め始めた仕事と、29歳で始めた仕事と二つあるのです。
……歳バレるなコレ_(┐「ε:)_
最初の仕事は「特許」のお仕事。
東京都特許許可局の特許です。
ちなみに、そんな局は存在しません。
専門学校で2級自動車整備士の資格を取得した私は、主に自動車関連の特許実務に有用と見込まれ、とある会社の特許課に配属されました。
特許の仕事してなかったら、たぶん小説なんて書けなかったと思います。
皆さんは「特許文献」を読んだことがあるでしょうか。
長いとA4用紙に小さい文字びっしりで100頁ぐらいあります。
それを3時間以内に読んで、3行に要約したり、分類わけしたり、ほかの文献と比較して差異を見出したり、色々するんです。
他にも1000件ぐらいの特許を解析して、その出願動向を分析したり、エクセルでデータベース化、グラフ化、その過程でマクロも勉強してある程度仕事を効率化したりしてました。
驚いたのは部署のホームページを作らされたことです。
自動車も特許も関係ねーじゃんと思いました。
その時の上司曰く「できないと言うな」だそうです。
できないと言えなくなった私は、独学でLinuxの動かし方を学び、サーバーを構築し、HTMLやらJava Scriptやら Perlやら勉強しました。
人間、やればできるものです。未だにHTMLの基礎は覚えてて、簡単なページならすぐ作れます。
当時22歳だった私は、社会人として成長期真っ只中でした。
できないと言わないスタイルの仕事は、やればやるほど色んなことが身につき、遂にはパソコンを使った仕事で、私に文句を言える人はいなくなりました。
特許実務についても、最初はバックアップの人に承認をもらってこなしていた仕事が、私1人で処理してもいいことに。
この時の私は「できないことなど何もない」ぐらいに調子に乗ってました。
そして23歳で結婚。
24歳で長男誕生。
25歳でマイホーム建築。
26歳で長女誕生。
順風満帆の幸せ絶頂ってやつですね。
そして訪れる27歳。
私はバイクが好きで、16歳からずっと乗り続けてました。
北海道一周してみたり、富士五湖を巡ってみたり、東北道で250キロだしてみたり、色々やりました。
ある日、実の弟が私のバイクを欲しがりました。
ちょうど1000ccのバイクに乗り換えて、いらなくなった250ccのバイクだったので、譲ることにしました。
「カッコわりー乗り方すんなよ?」
これが弟に言った最期の言葉でした。
弟は東京若洲で無謀運転し、交差点を曲がりきれずに鉄柵に激突。右上腕骨が開放骨折して右肺に突き刺さり、大動脈が破裂、首を強く揺さぶられたのか、首の骨が縦に割れて即死とのことでした。
2007年4月22日、朝7時。実家の母が泣きながら私に電話してきました。
「圭吾死んじゃったって! 圭吾死んじゃったって!」
弟は享年22歳でした。私は27歳のゴールデンウィーク前、仕事もプライベートも順調、連休はどこに出掛けようかウキウキしていました。
バイクを譲った私は消えそうになりました。
今でも後悔しています。
あの時、バイクは危ないから乗るなって言ってたら……
バイク乗りの私はそれからもバイクに乗り続けました。
時々、弟を思い出して涙ぐんでは拭い。
今でも弟のバイクは事故当時のまま、家の庭に置いてあります。
時々、廃品回収業者が「鉄屑」として回収したいと申し出てくるけど、あれは「形見だ」と言って追い返してます。
27歳の私は、転勤を命じられます。
いま思い返せば、ここら辺から私の人生は狂って行ったように思うのですが、それはまた別の機会にでもお話しましょう。
今回は長くなってしまったのでこの辺で。
次回は二つ目の仕事について話そうと思います。
よかったらいいねとかコメントとかお願いします!
それでは〜