ばびろんは――――まじゅう。
持って生まれたのはそれだけだった。
見下ろす街はこれから破壊の限りを受け止めるジオラマ。
逃げ惑う人々は自らの暴虐を見届けるギャラリー。
見える全てが、自らを飾り立てるためだけにある。
胸の内にあったのは、ただそれだけ。
「いらっしゃい」
「…………ばびろん」
「なんでもいいさね。金も取らないよ。こんな街、壊れちまってもいいかもしれないね……どこまで行ってもここは、英雄の子孫の鳥籠さ」
「あ、そ」
気が付くと、バビロンは街の中にあった宿の戸を開いていた。
受付で頬杖を突く狐耳女の自嘲気味の独り言に返事をしたように声を出す。
それはただ、会話を打ち切るための反応でしかない。
階段を上り、一際惹かれる部屋に入る。
街を壊す虚女を操りながら、ベッドで一人膝を抱えた。
すべての行動原理が、バビロンにとって理解不能だ。
ベッドから仄かに香る、香料とは違う人間の匂い。それに反応するのはバビロンの中身の少女。
「みつけて……ここにいる……」
街を破壊する。
「……だれか……」
今もどこかで誰かが死んでる。
「……いみ、わかんないね……」
バビロンには、『塔』として与えられたもの以外、何もなかった。
そして、彼女は見つかった。
殺されて、囚われた。
バビロンはこの時に、始まった。
見つかった時に、温かくて。
殺された時に、熱くて。
これはたぶん怒りで、殺意だったのだと思う。
「ころす。いつか、ころそう」
そんなことばかりが、バビロンの未完成な器に溢れていた。
気安く自分に声をかける宿主に、それ以外のなにも浮かばなかった。
「ばびろんは、まじゅうなんだよ」
裏切って殺そう。
こいつはバビロンの道具だ。
本当の自分なんか無いくせに、赤髪の女に媚びへつらって、黒髪の女と友情ごっこの毎日、金髪の女に安心感に化かした依存を覚えて、他にも自分の拠り所を作るのに必死な哀れな男。
虚飾だ。
「ばびろんに、ぴったり」
だから、絆していく。
「すきだよって、いってやる」
しっとしてるばびろん、かわいいだろ。
おまえにだけあまいばびろん、うれしいだろ。
おまえしかみえてないばびろん、てばなしたくないだろ。
繕って、作り上げて、包み込んで―――ぶっ壊してやる。
一度、壊すチャンスが来た。
発端はくだらない諍いだ。
怒りで周りが見えなくなった男の背中を、ほんの少し押してやる。ただそれだけで、男は獣人の王子を殺す直前まで落ちていき――――邪魔が入った。
ああ、失敗。
一度警戒されたら、もう騙すのは困難だ。
一生、大嫌いな宿主の頭の中で、宿主と共に死を迎えるのだ。
――――そう思っていたのに、男はバビロンに変わらず助けを求める。
「ほんとに、ばかなんだね」
バビロンにあるのは都合のいい男への侮蔑と嘲り。それだけのはずだ。
依存している。確実に男の中で、バビロンの存在が肥大化している。
もうすこし、もうすこし。
バビロンは誰よりも彼を見て、彼を嫌い、彼に怒り、彼を恨み続けた。
雌伏の時が終わりを迎えたのは、信頼を勝ち取ったその時だった。
『逆転』
彼が口にした瞬間、バビロンは外界に飛び出した。
結果は知っての通り、抵抗されたわけでもなく、不可能だったわけでもない。
「ころせない」
ただそれだけの理由だった。
「相棒」
彼がそう言うたび、心が掻き毟られる。
その声を、自分以外に聞かせるな。
「これはかざり、ただの、えんぎ」
そうでなくては、バビロンとは何なのか。
彼が誰かと言葉を交わすたび、怒りがこみ上げる。
この怒りが、独占欲なのだと知る。
彼が誰かに触れるたび、触れられたものの不幸を望む恨みが募る。
この恨みが、嫉妬なのだと知る。
「きもちわるいよ、きもちわるい」
初めの感情は、暗鬼の少女から受け継いだ寂しさだけのはずだった。
だが、今はどうだ。
魔獣ではなく、少女であるバビロンが形作られた。
誰でもない、彼の手によって。
「…………いみわかんないね」
今日も、男の覚醒と同時に目を覚ます。
彼の第一声はいつも、自分に向けられる。
「おはよう、バビロン」
「………んふ」
この歪な感情は、バビロンにも真実か虚飾かわからない。
これは、「バビロン」という名の病状。
嘘を吐くために産まれ、嘘を真実に変える虚構。
彼女が口にし続けた嘘とも言えない、愛ともしれない歪な言葉は、いつからこうなったのか、果たして何に形を変えたのか。
だが、それは確かに、今の彼女を形作っていた。
「……おはよ、ばか」
なまえはまだ、よんでやらない。
彼女はきっと、微笑んだ。