どうもこんにちは。本編が佳境にさしかかり、カロリーの高さに胃がキリキリしております。しろさばです。
Twitter(ぼくは、誰がなんといおうとあのSNSをツイッターと呼びます)で公開した現実逃避の産物をぬるっと置きに来ました。
どちらも関連性は特にないので、雰囲気で楽しんでいただければ幸いです(果たして書いてる人以外が楽しめるか自身ありませんが、せっかく書いたので供養!)。
◆お嬢様とアルバイターとクレーンゲーム
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S県丸果《まるか》市。
五月も半ばのことである。
梅雨の訪れを知らせる生ぬるく湿った風を頬に感じながら、城崎黒彦は自転車を漕いでいた。
自転車は折りたたみ式のロードバイクで、結婚して子供の生まれた大学のOBから格安で譲り受けたものだ。少し古いがまめなメンテナンスが功を奏したのかまだ現役で、細いタイヤがアスファルトを噛んでスイスイ進む。
その日はバイト先のカラオケ店に向かっていた。
夏休みに向けて少しでも銀行残高を増やそうとシフトを増やしていた。
雑居ビルの隙間、隣接したラーメン屋に設置されたエアコンの室外機の前に自転車を止める。室外機から繋がった排気管にチェーンロックを通して鍵をかけ、あくびを噛み殺して顔を上げ、
「————、」
黒彦は惚けたように目を見開いた。
そこに、少女が一人立っていた。
カラオケ店の正面に設置された客寄せのクレーンゲームの前。
置いてけぼりにされた春の妖精のような、浮世離れした美貌の少女であった。
色素の薄い外見。長く伸ばした柔らかそうな髪と、琥珀色の瞳。着ているのは一目で上等な生地と分かるジャンパースカートタイプの学生服だ。チャコールグレーを基調に所々深緑の意匠があしらわれている。きちんとアイロンのかかったプリーツスカートから、黒いタイツに包まれた細い脚が地上に向けてすらりと伸びていた。
少女の見つめる先には、タバコを咥えた目つきの悪い猫のぬいぐるみが山と積まれている。何かのソシャゲのキャラだっただろうか。
ぴろぴろと安っぽいクレーンゲームの音楽が、数秒遅れてやっと脳に届く。
「はっ」
まずいまずい。
今日び彼のような垢抜けない若者が道端で女子高生をガン見しているのを通行人に見られたら通報されかねない。
顔の濡れた犬のようにぶるりと顔を振り、なるべくそちらを見ないようにカラオケ店のロビーに足を進めた。
カウンターの前で難しい顔をしていた若い女が口を開く。
「あっ! ちょうどいいとこに来たわ、黒介」
「黒彦です。なんすか浅田先輩」
慣れた調子で訂正しつつ、尋ねる。
「外見た?」
「外……って、えらいきれいな子がクレーンゲームの前にいましたけど」
「あんたの好みは知らん」
「……じゃあなんすか」
「あの子、もう三十分はあそこにいるのよ」
「三十分は……長いですね」
浅田の口ぶりからしてゲームで遊んでいるというわけでもなさそうだ。
「そろそろ日も暮れるし、この辺治安悪くなってくるからさ、それとなく帰してくんない?」
「なんでおれが」
同性の浅田が行けばいいだろう、というニュアンスを込めて呟く。
「今フードの注文入っちゃったんだもん」
「そっちやりますよ」
「あんた着替えもまだじゃん」
「む……」
更衣室に行って戻ってからでは提供が遅れる。提供の遅れはクレームに繋がる。臨機応変、適材適所と言われればそうかもしれないが、黒彦はさらに食い下がった。
「店員の格好してなかったらそれこそ通報されません……?」
「なにビビってんのよ、やましいことがないなら堂々としてなさいよ」
「女子高生なんておれみたいな陰キャにはモンスターですよ」
黒彦は電車に乗る時も両手で吊革を掴む。
写真を撮られてSNSで晒されたらと思うと恐ろしい。
「大丈夫でしょ、あれ、都内のお嬢様学校の制服よ」
「お嬢様学校?」
またレアリティの高そうな要素がポップしてくる。
「知らない? カトレア女学院」
「ギャルゲかなんかですか?」
「くだらないこと言ってないで、変なのが寄ってくる前に早く追い返せ、黒太郎」
「黒彦です……痛、痛い痛い! 蹴らないでくださいよ!」
ふくらはぎを蹴られ、渋々自動ドアから外へまろび出る。
「?」
不意に、沈丁花のような甘く清涼な香りが鼻腔に入り込んだ。
視線を向けると、少女と目が合った。
ビスクドールみたいな整った肌と、長いまつ毛。唇は艶々して瑞々しく、先週地元の祭りで見た苺飴を連想させた。多分すごく高いリップクリームとか使ってる。絶対三本百五十八円とかの量産品ではない。
「…………」
しばらく此方を観察してから、少女は再びクレーンゲームの筐体へと視線を戻した。
中には数分前と変わらない配置のまま、二頭身の猫のぬいぐるみが恨みがましそうな顔で此方を睨んでいる。
「あー……、ええと、それ、欲しいの?」
正直あんまり可愛くないと思うが。
少女は頷き、小さな唇を開いた。
「どうしたらいいの?」
丁寧に調律した弦楽器みたいな、品のある声だった。
「百円で一回、五百円で六回できるよ」
コインの投入口を指差す。
「ひゃくえん……」
「小銭が無いなら両替するけど」
ルール上は断ることになっているが、まぁいいだろう。
「これは、お金を入れるの?」
「ゲーセン行ったらスマホ決済の筐体もあると思うけど……」
当店のクレーンゲームはキャッシュレスに対応しておりません。
そんなマニュアル台詞を頭に思い浮かべていると、少女がぱちくりと目を瞬いた。
「げーせん?」
「……よもやゲームセンターをご存知ない?」
思わず変な喋り方をしてしまう。
少女はむっとした顔をした。
「ゲームは知ってる」
そう言ってポケットからスマートフォンを取り出す。買って貰ったばかりなのか、ケースなどは付いておらず、つい先ほど箱から出してそのまま持ってきましたと言わんばかりの新品だった。
もはやゲームはスマホでやる時代である。小遣いを溜めて中古ゲーム屋に通った少年時代にしみじみ思いを馳せていると、少女はおぼつかない手つきで液晶を操り、此方に差し出した。
「あぁ、これか」
画面には煙草片手にふんぞりかえる目つきの悪い猫のキャラクターが表示されている。たしかいろんな種類の猫を集める放置ゲーだったと思うが、煙草はコンプラ的に大丈夫なのだろうか。
ともあれ話は振り出しに戻る。
黒彦は少し考え、ポケットから財布を出した。五百円玉を投入口に入れる。
「これはお金を入れて景品を取るゲームです」
アームを動かしてぬいぐるみの山に突入させる。山を崩して取出口に落とすタイプの配置なので、六回もやればひとつくらい取れるだろう。なお一回目は虚空を持ち帰って終わった。
「やってみる」
と少女が言うので、一歩横にずれる。真新しいローファーがコツコツと軽い音を奏でる。
「あ、ちなみに縦横のボタンは一回しか押せないから……」
気をつけて、と言った時にはアームは再び空を掴んでいる。
残り四回。
五百円あればスーパーで見切り品のメンチカツとキャベツの千切りが買える。
頭の中を銀行残高ともったいないお化けがぐるぐる回る。ついでに先ほどから「なに遊んでんのよ」という浅田の視線が自動ドアのガラス越しにビシバシ突き刺さってくる。
「…………」
黒彦はため息をついた。
結局、千円溶かして事態は決着した。あと二百円出せば隣のラーメン屋で味玉焼豚中華そばが食べられる。
硬いフェルト地でできたぬいぐるみを取り出し、少女の白い手のひらに置く。
「くれるの?」
意外そうに見上げる瞳は子猫のように丸く見開かれている。
「見せびらかせてどうする」
少女は渡されたぬいぐるみをしげしげと観察してから、大切そうに抱き寄せた。
「ありがとう」
ふっと唇を緩めてそう言われると、胸の内を数ヶ月遅れの春風が吹き抜けるような心地がした。
またね、と手を振って黒髪の青年と別れる。
真新しい通学鞄にぬいぐるみをしまって、しばらく繁華街を歩く。すると瞬く間に暗くなりはじめた空から、ぱらりと水滴が落ちてきた。
額に当たる雫の感触。灰色の空を見上げた少女の視界に、透明な薄いビニールの膜が滑り込む。
後ろから傘を差し掛けられたことに気がつき、少女は背後を振り返る。
そこには背広姿の男が一人立っていた。
「電話を出せ」
仏頂面で指示され、少女は素直にスマートフォンを取り出した。顔認証でロックを解除すると、男に向かって差し出す。
男は少女の手にはやや大きい端末を片手で操作する。
「何故出ない」
と、少女に画面を見せる。そこにはずらりと着信履歴が並んでいた。
「やり方がわからなかった」
「ゲームはやっていただろ」
「かわいかったから」
「…………次の面会日までに覚えろ」
男はため息を吐きながら少女にスマートフォンを返した。
「門限までそれほど時間は無いぞ。またファミレスか?」
少女はうーんと考え込み、ぽつりとつぶやいた。
「げーせん、にいってみたい」
(おしまい)
