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感情表現の欠落


物心ついた頃、確か祖母だっただろうか? そうまの笑顔は素敵だよ。と、よく褒めてもらった。私の笑顔は素敵なんだ、と小さな頃の私は馬鹿の一つ覚えのようにいつも指で頬を持ち上げて口角をあげる練習をしていた。

小学校に入ってからもずっと、いじめられていても、大切なものを壊されてしまっても、私はただ笑っていた。忘れもしない中学3年の夏、いじめっ子にこう言われた。「そうまさんの笑顔ちょー気持ち悪いよね」と。その時の私も、笑っていた。

大人になり、自分の感情や意見が分からない・説明できない残念な人間になった。「お前の意見はどうなんだ?」と言われ、なんと答えていいか分からず思考していたら相手に大きな溜息をつかれる、ということも正直何度かあった。


前置きが長くなってしまったが、最近小説を書いていて感情表現をどうしたら良いのか悩むことが多い。この時主人公はどう思うのか、どんな空気になっているのか、顔を真っ赤にして怒鳴り散らすのか、恥ずかしさのあまり死のうとするのか……

創作活動において、感情の動きは大切だと思う。なのにそれが上手く書けない、そもそも何という感情なのか分からない、説明できない、この状況がとてももどかしい。

状況の説明ばかりでは小説は面白くない。登場人物たちの言動で彩りが加えられる。
なのに、私が書く文は、彼らが何を考えているのかよくわからない。


もしも幼少期の私に会えるなら、躊躇わずに泣いたり怒ったりするよう伝えたい。そして、その時の気持ちをノートに書き殴れと。あと痩せろ。

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