世界初のフルダイブ型VRMMORPG、ブルーソードオンライン。
そのサービス9年目、梅雨も開けて本格的に夏がやってきた頃の話。
毎年恒例の夏イベントの開始が告知され、アルク・ホワイトヴェールはその日を楽しみにしていた。
現実世界では海に行きたくとも行けない。連日の休日出勤に残業続きの毎日で、仕事以外では家から出る事すら億劫になるような生活だ。だからせめてゲームの中で夏を満喫しようと決めていた。
そして夏イベントが始まったその日、ログイン出来たのは夜の10時過ぎ。
仕事中はあれだけ疲れていたというのに、こうして仮想世界にやってくると不思議と身体が軽くなり、疲労感など吹き飛んでしまう。
――やはりBSOが俺にとっての生きがいなんだな……。
などとしみじみ思いながら、アルクはログインした直後に夏イベントの会場へと足を運んだ。
「わー! 海です、凄いです! 綺麗ですね!!」
夏の浜辺に着いた直後、アルクは両手をいっぱいに広げて興奮気味に声を上げた。天使のように可愛らしい声が砂浜に響き渡る。
ゲーム内に生み出された常夏の楽園は常に燦々と輝く太陽の下にあり、空には雲ひとつない快晴が広がっている。
青々とした大海原からは波の音と潮風が流れ込み、まるで現実の世界の海水浴場をそのまま再現したかのような光景に、アルクは胸の奥から込み上げる感動を抑えきれなかった。
しかし、そんな絶好の海日和だというのに浜辺にいるプレイヤーは全くいない。
サービス9年目に入った今、プレイヤーの人口の過疎化が深刻になっており、夏のイベントだというのにこの浜辺にいるのはアルクただ一人だった。
フレンドリストも全て真っ黒で自分以外に誰一人としてログインしていないことを確認すると、アルクは残念そうに溜息をつく。
「仕方ないですよね……去年も一昨年も誰もいませんでしたし……」
サービス開始当初は多くのプレイヤーが押し寄せたが、今はもうすっかり過疎ってしまっている。
続々と登場する最新のVRゲームに多くのプレイヤーが移住した事で、BSOの衰退は著しいものとなっていた。
掲示板やSNSでは『そろそろサ終だろうな』と諦めの声が多く聞かれているほどだ。
それでもアルクはめげなかった。いや、寂しさを紛らわす為に気丈に振る舞うのだ。
「えへへ、このイベント会場はわたしの貸し切りですね。いっぱい海を楽しんじゃいます!」
元気いっぱいの笑顔を浮かべてアルクは砂浜を駆け出した。
いつもはモンスターの出現する『宝石の砂浜』だが、夏イベント仕様になっているこの瞬間は特定のイベントが発生しない限り、モンスターの出現しない安全地帯(レストエリア)となっている。
砂浜にはイベント限定のNPCショップが開いており、水着や浮き輪などのアイテムを購入することが出来るようになっていた。
他にもビーチパラソルやチェアといった家具系のアイテムも存在していて、それらのアイテムを使えば快適なひと時を過ごすことも出来るようになっている。
アルクのアイテムストレージの中には海水浴用の装備や道具はたくさん入っていて、既に準備万端と言った様子だった。
「今年は張り切ってきました。フリルのついた可愛い水着、ぷかぷかの浮き輪、それにカラフルなビーチパラソルも!」
アルクは嬉々として海水浴用のアイテムを次々と取り出していく。
普段着ているドレス風の装備を脱ぎ捨てると、可愛らしい純白のビキニ姿となったアルクがそこにいた。
たぷんたぷんと揺れる豊満な双丘はフリルの着いた白のブラに包まれており、清楚な雰囲気の中に艶やかさを感じさせるデザインになっていた。
全体的にふんわりとした印象を受けるその水着は非常に愛らしく、雪のように白い肌と相まって天使のような可憐さを醸し出している。
スラリとした長い脚も魅力的で、それでいて肉付きの良いむちむちとした太ももが艶っぽい。
さらりとした黒髪が潮風で揺れ、陽光を浴びてきらきらと煌めいていた。
普段はおしとやかな雰囲気のアルクだが、水着になると途端に活発的な一面が顔を出す。
それに海というロケーションが合わさり、閉鎖的な現実世界での暮らしで溜まったストレスが一気に発散されるように感じられた。
「うんっ、BSOの夏イベ最高です!」
浜辺に降り注ぐ日差しは熱く、潮風は心地よい。
照りつける太陽にじりじりと焼かれながら、波打ち際まで走っていく。
「わぁ~! 気持ちいいです!! きゃあっ、冷たいっ!!」
ぱしゃりと海水に足をつければひんやりとした感覚が伝わってくる。
味覚と嗅覚をサポートしていないBSOであるが、触感だけはリアルそのもので海の冷たさや砂の柔らかさがダイレクトに感じられる。
アルクは両手を広げて大きく伸びをしながら、そのまま浅瀬を歩き始めた。
ちゃぽん、ちゃぽっと水飛沫が跳ね上がり、寄せては返す波の動きに合わせてアルクの身体も上下する。
ふわふわと宙に浮いているかのような不思議な浮遊感に、アルクは思わず笑みをこぼした。
「あはは、なんだかくすぐったいです」
満面の笑みを浮かべたアルクはその場でくるりと一回転してみせる。
アルクの長い黒髪がひらりと舞い、豊満な胸が弾んでぷるんと震えた。
そして再びアルクは走り出すと、今度は海の中へと飛び込んだ。
ばっしゃーん、ざぶん!
勢いよく海中に飛び込むと、大きな水しぶきがあがる。
そしてアルクは両手両足を大きく広げながら、海底に向かって潜っていった。
水中で揺らめく景色を眺めて楽しむアルク。
ゆらゆらと波に揺られながら漂っていると、まるで自分が魚になったかのような気分になる。
現実世界なら息継ぎが必要だが、仮想世界では水中でも呼吸が出来る。
水面から差し込んでくる光がとても美しく見えた。
「綺麗……。本当にBSOの世界って素敵……」
初めて夏のイベントに参加した時の事を思い出す。たくさんのプレイヤーで溢れて賑やかだったあの日を。
あれからもう9年が経つのかと思うと、アルクは少しだけ寂しい気持ちになってしまった。
――来年は……誰かと一緒にイベントに参加できたらいいな……。
一人ぼっちの水中で、アルクは小さく丸まって膝を抱える。
本当にサービス終了してしまうのだろうか、大型アップデートや拡張パックでどうにかならないのかなと、そんなことを考えてしまう。
この9年間、ずっとずっと遊び続けたBSOの世界。自分を置いて引退していくフレンド達、過疎化が進むプレイヤー数。
もう一度、たくさんの人達とイベントに参加して笑い合いたい。そんな想いに駆られて、アルクは静かに涙を流した。
するとその時、アルクの前に半透明のウィンドウが出現した。
突然の出来事に彼女はびくりと肩を震わせる。
「わっ。早速始まりましたね、夏イベ限定の討伐クエストです」
それは今回の夏イベの目玉であるバトルクエストの通知だった。
アルクは目の前に現れたウィンドウを操作してクエストに参加するかどうかの確認画面を開いた。
もちろん参加するつもりだったので迷わずイエスを選択する。
――――― ―――――
◆[イベント限定]ボスモンスター討伐クエスト
参加人数:1人/残り99枠
クリア条件:ボスモンスターの討伐
――――― ―――――
毎年恒例のボスモンスターを倒すイベントだ。
イベントの開始は突発的で、いつ始まるかは分からない。
イベントエリア内にいるプレイヤーにメッセージが一斉送信されて、それを受諾するかしないかを選べるようになっている。
アルク以外に誰も会場にいないので、当然のように彼女だけにメッセージが届いた。
「一人ぼっちでも大丈夫です……! 去年も一人で倒せましたし!」
アルクは水中でくるんと回った後、海面に向けて上昇を始めた。
そのまま海上へ飛び出して辺りを見回す。ボコボコと大きな泡が立ち上がるあの場所に、ボスモンスターが出現するはずだ。
「アイテムストレージ、【エクスカリバー】コール!」
アルクが叫ぶと白い光の中から一本の片手剣が姿を現した。
それは純白の刀身に金色の装飾が施された美しい剣。
――――― ―――――
◆[武器]エクスカリバー
アイテムレベル:95
基礎ステータス:STR+95
神によってもたらされた聖なる剣。
闇夜を斬り裂き、邪悪を祓う。
特殊効果①:物理防御力を無視したダメージを与える。
特殊効果②:攻撃に成功した際、持続ダメージを対象に付与。
特殊効果③:全種族、全属性に特攻効果。
特殊効果④:装備者の全ステータス値を15%上昇
装備可能レベル90~
――――― ―――――
レベル90に到達しているアルクが装備できる現時点での最強装備。
メインストーリーを誰よりも早くクリアしたプレイヤーに贈られる最強の武器『天上の剣』には劣るが、その性能はまさに破格と言っていい。
この剣を携えた魔剣士ならば、どんな敵をも一撃で葬り去ることが出来るだろう。
「よし……! それじゃあ行きますよ!」
アルクは再び水中へと潜ると、泡立つ海面を目指して泳いでいく。
やがて見えてきたその場所でアルクはエクスカリバーを鞘から引き抜いた。
「むぅ? 今年はイカじゃなくてタコですか……?」
アルクの目の前に飛び出す大きな影。
真っ赤な体表に八本の触手、ぬらぬらとした粘液に覆われた胴体には鋭い牙とギョロリと動く瞳が備わっていた。
アルクは海中に漂いながら、出現したボスモンスターを観察する。
タコ。巨大なタコだ。
しかしただのタコではない。大きさが桁違いなのだ。
大きな船舶ほどある巨体は、もはや怪獣と呼ぶに相応しい威容を誇っている。
そしてイベントのボスモンスターのレベルは参加しているプレイヤーレベルの平均値。
アルクしか参加者がいないという事は、彼女のレベルが基準になっているはずだ。
「うん……レベル90のタコさんですね。これなら余裕ですよ」
アルクはふふんと鼻を鳴らして自信満々に微笑んだ。
相手は自分と同レベルであるのに、アルクは全く臆する様子もなく堂々と構える。
それも仕方がない。何故ならアルクは最強の攻撃力を持つ魔剣士を極め、今までありとあらゆる強敵を葬ってきたのだから。
いずれ究極の難易度を誇る『深淵(アビス)』というダンジョンを踏破し、最強のプレイヤーとしてBSOの世界に名を残す事を夢見ている彼女が、こんな所で躓いているわけにはいかない。
アルクはゆっくりと目を閉じて精神を研ぎ澄ます。
「魔剣技(デモンズウェポン)――生命の剣(ライフソード)」
魔剣士が有する最強の攻撃スキルを発動させた。
自身のHPを代償に攻撃力を爆発的に高めるこのスキルを使えば、どんな敵でも一撃で屠る事が出来る。
更に――。
「魔剣技(デモンズウェポン)――雷鳴の剣(サンダーブレイド)」
アルクは続けて二つ目のスキルを使用した。
水属性のモンスターへ特効のある雷属性の力を付与し、これで弱点を突いて一気に畳み掛ける。
巨大なタコ――クラーケンはぎょろりとアルクの姿を睨みつけた。
そして8本の触手を同時に動かし、一斉に攻撃を仕掛けてくる。
無数の触手による殴打と、吸盤を利用した吸い付き攻撃だ。
だがそんなものは今のアルクにとって何の脅威にもならない。
彼女は迫りくる全ての攻撃をまるで人魚のように華麗に回避し、稲妻を帯びた斬撃でクラーケンの触腕を斬り落とす。
バチバチと閃光が走り、クラーケンの全身が青白く発光した。雷属性の特殊効果、対象へ麻痺状態を付与する事が出来るのだ。
更にエクスカリバーが与える持続ダメージによって、クラーケンの全身に裂傷が刻まれていく。
身動きが取れず、苦悶の声を上げるクラーケン。
そんなモンスターを前にアルクはぎゅっとエクスカリバーを握りしめた。
「――終わりです」
海中でアルクは静かに呟く。
次の瞬間、彼女は海面を飛び出してクラーケンの頭上高くを舞っていた。
空中で身体を捻って体勢を整え、エクスカリバーを真下に振り下ろす。
――ズドンッ!!
落雷のような轟音が響き渡り、凄まじい衝撃波が発生した。
海が激しく波打ち水面が大きく割れて、アルクが放った渾身の一撃はクラーケンを一刀両断にしていた。
墨を吐き出しながら二つに裂けたクラーケンは、やがて光の粒子となって消滅していく。
同時に半透明のウィンドウが出現し、そこには討伐イベントの成功を知らせるメッセージが表示されていた。
アルクはそのメッセージを確認すると、ほっとした表情を浮かべて胸を撫で下ろした。
そのままエクスカリバーをアイテムストレージに片付けると、ぷかぷかと水面に身体を浮かせる。
「良かったぁ……。今年も無事倒せました」
水面に浮かびながら、燦々と煌めく太陽を見上げるアルク。
その顔は達成感と満足感で満たされており、とても嬉しそうだった。
それから彼女はぱしゃぱしゃと水を跳ねさせ、勢いよく泳ぎ始める。
夏は始まったばかり。まだまだ運営の企画したイベントがたくさん残っている。
砂浜から見上げる花火大会、綺麗な貝殻を集めてポイントを競ったり、海の底に隠された宝箱を探ったり。
たった一人きりの寂しいものかもしれないが、それでもアルクはBSOの世界で過ごす夏を全力で楽しむつもりだ。
こうしてまた一つ、アルクは思い出を増やしていく。
それは決して忘れる事のない大切な記憶。
その一つ一つを噛みしめるように、アルクはどこまでも広がる青い空を見上げた。