「詩」について少々
抽象的な話しで恐縮ですが
私なりの「詩」についての捕らえ方の1部分を書かせて下さいませ
「詩」とはナニか?
突き詰めて考えた事がお有りでしょうか?
宇宙には絶対的法則というものが有ります
良く知られているのが「万有引力」
それ以外はほとんど知られていませんが
「同音同意」という法則が有ります
同じ響きを持つコトバは同じ語源を持つということなのですが
ここで言うコトバとは人の口から出た言葉だけでなく
音波・光・電波・熱などの全ての波動を指します
余談になりますが 聖書ヨハネ伝第一章の冒頭に在る
「はじめにコトバあり コトバは神と共にあり
この世にありてコトバに因(よ)らでなりたるは無し・・・」
の「コトバ」もこれです
つまり乱暴に言うとこの世界はコトバで出来ているということです
ということは
「詩」=「死」
では 「死」はナニかというと「動きが止まる」なのです
人は生きています
感じて・考えて・願って・悲しんで・喜んでの連続です
その一部を「書き留める」=「止める」=「死」=「詩」なのです
ですからそうして書きとめられたものは全て「詩」です
ですが 形の無い感じて・考えて・願って・悲しんで・喜んで を
2次元に変換する事は物理的に不可能ですから
「表現する」が必要になります
画家がキャンバスという2次元に3次元を表現するように
「詩」も2次元に文字を使って表現できていなければいけないのです
文字は色も温度も味も何も無いただの記号です
その記号の配列で表現出来ているものが
余白の芸術と呼ばれる「詩」なのです
ある画家がこう言いました
「ボクは花瓶を描く時 裏側も描きたいんだよね」
この画家はちゃんと3次元を2次元に表現しようとしているのです
私は小学校の国語の時間に
「詩」は「余白の芸術」と呼ばれているんだよと習いました
だから自分の書く「詩」は「余白の芸術」でありたいと思っています
「玉ちゃん」
利根川の上流に玉ちゃんは住んでいます
アザラシではありません 人間の主婦です
停電した夜 二人の娘に尊敬されたそうです
「お母さんたちすごい 停電しても普段と同じように
何でもできる!!」
でも本当に普段通りなんですもの
今でも夫婦そろってマッサージ師をやっていることでしょう
「間」についての短考
間 には「実の間」と「虚の間」が有って
文章を自然に書けば作者の呼吸が句読点に現れる
役所の文章が堅っ苦しいのは
隙を突かれちゃいけない 揚げ足を取られちゃいけないと
息を詰めて書いてるからだろう
「間」についての別考
「間」は「ま」で「ん」と「あ」の合い間
ゆえに全ての言霊を内包し
広くは宇宙空間
身近なところでは私たちが生まれてきた母の胎内
私の中の工藤一麦という詩人
現存する同人誌では最長の歴史を持つ「雲と麦」の主宰であり
キリスト教の重鎮であるとも聞く
私が学生時代極々短期間同人としてお世話になったことがある
それから約30数年が経とうとしている今朝
ポンと浮かんだ単語が「いつくしみ」だった
ずいぶん時間がかかったがこれこそが
私の中の工藤一麦という存在そのものだったと
立ち込めていた靄が一気に晴れた
江戸川区のご自宅での例会で一度だけお会いしたが
その一度の印象がその後今日まで
まったく褪せることなく続いているというのは
私にとってかなり重要な存在なのでしょう
その証拠に自分の詩を褒めてもらいたくてしょうがないのです
その時の私は父親の胡座の中に甘えて座る子供なのです
パクちゃんストーリー(実録谷口さん談)
パクちゃん(オス)はキタちゃん(メス)と一緒に
幼児期のときにピクニカにきました。
種類はキタリスです。
キタちゃんはとっても元気がよかったのですが、
パクちゃんはピクニカに来たときから食欲がなく
いつも丸まっていました。
2~3日して全く食べなくなってしまったので、
動物病院で診てもらったのですが・・・
食べなくなってからは毎日家に連れて帰り、
人間の栄養剤をスポイドで飲ませながら、
私の手を籠の中に入れて掌に乗せて寝せていました。
2~3日しても治る気配がないので別の病院へ・・・
薬が適合し、日毎に元気になっていきました。
完治するまで毎日手を籠に入れてパクちゃんとスキンシップ。
パクちゃんの名前は
「早くパクパク食べるようになってほしい」
という意味でつけたものです。
元気になってからは手を入れると、じゃれついてきて遊んでいました。
ある朝、いつものように手を入れると1度掌にちょこんと乗ったあと、
自分の寝床にもどりバナナチップを
くわえてきて掌に乗せて私の顔をじーっと見たのです。