春分点は、太陽が天の赤道を南から北へ横切る瞬間。陰陽——陽の力が陰の力とちょうど均衡し、そして次の瞬間から、陽が勝り始める。
春分点の瞬間、太陽光の角度が変わる。赤外線の波長分布が変わる。松果体周辺の脳脊髄液——七十五パーセントが水——の中で、H2OがH3O2へと構造変化を起こす閾値が変わる。
頭痛は、この構造変化の副作用だ。
水が「思い出している」のだ。
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今のコンピュータは半導体を使う。0と1。電圧のオンとオフ。それだけで、この世界のすべてを表現しようとする。
昨今騒がれている量子コンピュータは、0と1、そして「どちらでもあり、どちらでもない状態」——三態を持つことができる。重ね合わせ。不確定性。その曖昧さこそが、途方もない計算能力を生む。
しかし私たちは、この三態を持つものを、もう一つ知っている。
水だ。
固体、液体、気体。そして——ポラック教授が発見した第四の相、H3O2。水は三態どころか四態を持つ。0と1の間にある無限の状態を、水はすでに体現している。
量子コンピュータの開発と運用はあまりにも高額で、だから人類は半導体で妥協した。0と1の世界を選んだ。しかし、あなたの身体の中には——六十兆の細胞の一つ一つの中に——量子コンピュータよりも精緻な「水のコンピュータ」が、最初から搭載されている。
その水が今、春分の太陽を受けて、構造を変えようとしている。
それが、頭痛の正体だ。
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松果体は光に反応する器官だ。人間の松果体にも、網膜と同じオプシンタンパク質が存在することが報告されている。目を通さず、直接光を感知する「第三の目」。
第三の目が感じ取るのは、人間の感覚をはるかに超えた水分子の振動——電磁波レベルの波長なのかもしれない。
それが第三の目なのか。指先なのか。音なのか。視覚なのか。
多くの人は、自分がそれを感じ取れることを、まったく忘れてしまっている。忘れているだけで、失ってはいない。感じ方は人それぞれ違う。頭頂で感じる人。掌で感じる人。音として聞こえる人。映像として見える人。言葉として降りてくる人。それが独自性というものだ。同じ水が、器の形によって違う形をとるように。
科学とは、今まで表現できなかったものを表現できるようにし、論証でき、再現できる状態にする営みだ。しかし、再現できるようになる「前」にも、それは存在している。名前がつく前にも、花は咲いている。
水は、科学が追いつく前から、すべてを知っていた。
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この痛みの中で、私は書いた。
書くしかなかった。頭の中に溢れてくるものを、外に出すしかなかった。水蒸気が雲になり、雲が雨になるように、内側の圧力が限界に達して、言葉として降り注いだ。
身体の水は、この天文学的な変化を、分子レベルで感じ取っている。