猪俣心冷(いのまた しんれい) ●文学的出発 二〇〇三年、東京生まれ。 医学系の専門学校へと入学するも躁鬱病を患ったためにあえなく中退。 この頃、学生時代に懇意にしていた上級生によってリレー小説が企画され、これを契機として以後、創作活動を情緒の亢進剤に用い始める。 写実主義や自然主義文学に学んだのち、やがて凪いだ東シナの海や濡れたヒノキ木立、陰鬱に雲底を浮かばせる積乱雲────とりわけ山紫水明の叙景に安息を見出す。 ●自然観に関する独特の自解 心冷にとっての自然界とは、ただ単に美的要求を満たし、精神の回復に資する天然の万象というだけでなくそれ以上に、見えざる膜の外側へと手を引いてくれる案内人といった側面が強い。 心冷の四囲には常に磨り硝子とも思しい不透明な仕切りが浮漂しており、これが悪さを働いて、彼の人生をどこか朧気にする。 森林や渓流を始めとした自然の景物たちはこの薄膜の内側と同じく朦朧たるものだが、しかしまた別種の解放された世界での幻想を見せてくれるのだ。 主に文学史における自然観念の研究の成果として創作物を公開してゆくが、上述の印象が彼の作品の主題ともなっている。 また、作品の節々から『羞恥心と逆張りの性質からなるサブカルチャーへの軽蔑が創作への原動力となっている』悪辣な筆者をも垣間見ることができる。 このような側面が少なからず擬古典主義的な作風を造形しているといえよう。 主著に『栂池湿原の抽象画』ほかがある。