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創作論議「サイエンス・フィクションに合理性を求めるべきか」

こんにちは、志張間 内斗です。
現在ライブ・オア・ライブの執筆に苦労して行き詰りかけております。

さて、あんまり創作論について他人に語ったことがないのですが、今回のテーマは「サイエンス・フィクションに合理性を求めるべきか」でございます。

僕の性分というか、こだわり方なんですけれど、科学技術が登場する際は出来事に「理由付け」をするようにこだわっています。ファンタジーなら「ファンタジーだから」で何とかなりますが、科学だとそうはいかない。
例えば処女作たる「自然戦士」(たぶんみんな忘れてる)では、アイテムを収納するアイテムとして「中身が超次元空間につながっている袋」(正式名称未定)が登場しています。
RPGや特撮あるあるのどこからアイテムを取り出したかわからないっていうのがあんまり気に入らなくて、どうしてもアイテムをいくらでも収納できる理由付けがしたかったんです。
しかしこのやり方は失敗ですね。デザインした時もダサいし、何より鎧をまとう戦士が腰に袋着けているのは違和感しかない。

ほかにも、「フェイス・ブレイカー」で登場する団員専用の変身アイテムのお面(これも正式名称未定)ですが、これを顔に装着すると魔方陣(のようなもの)が地面に出現し、魔方陣が体を通過するたびに全身にアーマーが装着されます。
実は仮面ライダーから着想を得ているのですが、仮面ライダーも変身方法がファンタジーだったり結構細かく科学が盛り込まれていたりと、作品によってバラバラなんですね。
FBの場合は、FB本部にあるパーソナリティレスアーマーが、仮面装着に呼応して粒子状に変換され転送され、装着車の全身に吸着するという風に考えていますが、どうしても変身系は質量保存の法則をどう成り立たせるかと悩んでしまうのです。

まとめですが、「SFだろうと創作なので何でもあり」というように思っていた方が、作者側も読者側も気が楽だろうと思います。
SFのFはフィクションじゃなくてファンタジーなのかもしれませんね。

今回はここまで。次回の創作論議は「登場人物の男女比について」を議題としようと思います。それでは、さようなら。

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