馬車は石敷等で舗装された道路網があってこそ成り立つ移動手段です。乗り心地の改良は、車体を車軸から離して吊り下げることから始まります。既にローマ時代の馬車でもありましたが、帝国崩壊と共に技術が失われました。いや、道路が退化して馬車の走行が不可能となり、騎馬と牛車になったというべきでしょう。
復活したのは15世紀ハンガリーのコチ村。ローマでは車軸の内側と車体の下部を繋ぐ吊り下げ式でしたが、軸受けの外に湾曲した支持棒を立てて車体の上下部と繋ぎました。そして左右前輪からL字に曲げた車軸と轅を纏める構造で方向転換し易くし、木材と植物繊維を主体とすることで軽量化と高速化を実現しました。
バネを馬車に導入するには機械式時計の発展を待たねばなりません。時計に使えるバネ類の加工技術の進歩と17世紀のニュートンの運動法則及びフックの法則という理論面の整備を経て、馬車にもバネが導入されるようになり、車体やバネやピンが木製から金属製になり、回転盤による転舵装置も現れました。
砂魔術のある我等世(ウィラルテ)は、別の発達をする筈です。土や砂利の道を走行する場合は車輪に鉄板を巻いて蹄に蹄鉄を装着する馬車が正解で、その代わり石敷道では凄まじい轟音と粉塵と道の劣化を甘受します。しかし、四協帝国では砂魔術で平滑道路(スリップ防止と排水の溝あり)を整備できます。
地球でも存在しますが、車輪に生皮(ロウハイド)を巻き、馬には蹄毛靴(フーフブーツ)を履かせることで、道路保護と走行性向上と静音と揺れ軽減の全てを一気に解決するという方向性に進化しました。この方式の弱点は、皮や毛は耐久性に劣るために砂利道や土道には不向きという点です。
そこで吊り下げ馬車は客車と車台が分離している構造を逆手に取り、街道網に台車交換用の人力クレーンを整備して、鉄巻き車輪の車台と装蹄された縞馬へと換装できるようになっています。生皮や蹄毛靴も魔物素材のため、街道ならば時速20kmで7時間の高速移動でも交換不要です(縞馬は換えます)。
AIイメージは、石道はもっと平滑なのですが、客車が吊り下げ式で屋根の梁部分にクレーンを掛けて持ち上げて車台を換装できる構造を見ていただければと思います。
Kocsimúzeum(ハンガリー、コチ博物館)
ハンガリー史上最大版図を成し遂げたマーチャーシュⅠ世(在位1469~1490年)は、水戸黄門のように身分を隠してコチ式馬車に乗って国内を巡察したという伝説がある。コチ村が馬車「コーチ(Coach)」の語源。
※次回更新は、7/18(土)を予定しています。