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機内の、安っぽいヘッドホンで聞く音楽放送。初めて飛行機に乗った時に流れていたラインナップは全部覚えているのに、二度目以降のフライトで聴いた曲は、何故かほとんど思い出せない

先日、飛行機に乗る機会がありまして。
後ろの席には、幼稚園児くらいの子どもと、そのお母さんが座っていました。
子どもが、お母さんに訊ねる声が聞こえてきたんですよ。
「ねえママ。神と恐竜、戦ったらどっちが強い?」
やっぱ子どもって天才だわと、思いました。
だって普通、戦わせないじゃないですか。神と、恐竜。
普段から、こんな調子の質問を投げかける子なのか、お母さんも慣れた様子で、さらりと返していました。
「神様でしょ。恐竜を作ったのも多分、神様なんだから」
お母さんの答えは、前の座席で、ひっそりと耳を傾けていた私を、納得させるものでした。
きっと私も、同じ質問をされたら、そのお母さんと同じように返していただろうし、大抵の大人も、似たり寄ったりの答えしか持ち合わせていないんじゃないのかな、と思った途端、私はふと、「『答え』って、つまんないな」と、思いました。
と同時に、マンガや、ポップスに代表される現代を象徴する芸術って、「答えの文化」なんじゃないかという考えが、浮かびました。
「自分らしさ」「真実の愛」「夢」「人との絆」などなど。そういったテーマに対する「答え」が手に入れば、より充実した人生を得られるっていう前提のもとに成り立っているっていうのが、特徴的な文化ですよね。
勿論、一応断っておきますが、私がこの時抱いた「『答え』ってつまんないな」という感覚を使って、現代サブカルチャーを批判しようなどというつもりは一切ないです。簡単にコンバートすることのできない心情であったため、私自身がフィクション等にこれまで抱いてきた感動が、帳消しにされるような気分には一切ならなかったと言えば、意図は伝わるかと思います。
しかし、「本当に人生を豊かにしてくれるのは、『確かな答え』ではなく『魅力ある問い』なのではないか」と、強く心揺さぶられたのも、また事実であって。
つまりは、そんな気付き自体を、「答え」として受け取ることしかできない自分を歯痒く思った、というだけの話です。

小説、頑張って書いていこうと思います。




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