Scene 1 法廷
東京地方裁判所、第八法廷。
午前10時4分。傍聴席は満員だった。
霧島暁は立っていた。検察官席から被告席へ、一度だけ視線を向けた。大手建設会社の元役員、五十七歳。下請け業者への組織的詐欺と横領、総額十二億三千万円。今日、この男に対する論告求刑を読み上げる。
暁は手元の書類に目を落とした。
読み上げるまでもない。
全文、頭の中に入っている。それでも書類を持つのは、感情を制御するためだった。この紙が、手と声の間に一枚の壁を作ってくれる。
「被告人は、平成三十年四月から令和四年三月にかけて、傘下の下請け業者二十三社に対し、架空の工事費用を計上する手口により——」
低い、静かな声。法廷の空気が、わずかに引き締まるのがわかった。
被告席の男が、一度だけ目を逸らした。
暁は続けた。抑揚を排した言葉で、しかし、一語も妥協せず。被害企業の名を読み上げるたびに、その背後にいた人間たちの顔が浮かんだ。廃業に追い込まれた社長。家族を養えなくなった職人たち。法廷には来られなかった者たちの声を、この論告が代わりに語らなければならない。
「被告人の行為は、長期にわたる計画的かつ悪質な犯行であり、被害者たちが法を信じ、秩序を信じ、それゆえに声を上げられないまま損害を受け続けたという事実を、本法廷は重く受け止めるべきであります」
「被告人に対し、懲役七年を求刑いたします」
傍聴席から、小さなざわめきが起きた。
記者たちがペンを走らせる音。被告の弁護士が、手元の書類を静かに揃えた。
暁は着席した。
胸の中で何かが、静かに鳴っていた。
達成感ではなかった。
もっと違う何か。まだ名前のつかない、鈍い響き…