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一人羞恥心の自己紹介



私は、私のことを『私』と書けるようになった。ただそれだけだ。
それから、すべてがしっくりくるようになった。凸凹の雌雄が決したように。どちらかがどちらかのマウントをとって、結合して、口になり安定した。もう、私の一人称は『私』でゆるがないだろう。

青年時代から文章を書くたびに頓挫してきた。それは『一人称羞恥心』が私を襲ってきたからだ。ボク、ぼく、ボク、ボーク、ぼくちゃん、僕君。俺、おれ、オレ、オーレ、俺君、俺様。わたし、ワタシ、わたくし、ワタクシ、ワターシ、我輩。とうとうとう、と、とめどなく『一人称の羞恥心』が私を苦しめてきた。
とうとう、49歳になって、『私』の発見により、『一人称羞恥心』から逃れることに成功した。こうして、まともな文章を書けるようになったのは『私』の偉大な発見のお陰なのだ。いったい私の『私』はどこに隠れていたのだ。人見知りの『私』め。
じつは、密かに去年「僕」で文章を書こうてして、やはり頓挫した。去年の私は『私』を発見できなかった。もちろん青年時代の『私』も、まったくもって一人称を『私』で書くなんて思いもしなかった。

今年の6月頃に「あ、私でいこう」と突如閃いたのだ。「そうだ、京都行こう」みたいなかんじだ。一人称を『私』にしたとたんに、するする言葉が生まれてくるようになった。私なりの文章のテンポも出てきた。私は、語彙よりも『テンポ派』の書き手なのは明らかなので、『一人称羞恥心』からの解脱は、水を得たさかなクン状態になったようなものなのだ。

そう言えば、さかなクンだって、『一人称羞恥心』で悩まされた時期があったのではないか。『TVチャンピオン』時代の初々しいさかなクンは、『ワタクシ』とは言っていなかったはずだ。私はテレビウォッチャーではないので、その辺りの知識が不足していて確かなことが言えないのが残念だ。
天皇陛下に拝謁した頃には、もう『ワタクシ』だったはずだ。どこかの時期のさかなクンのなかで、ブレイクスルーが起きたのだろう。誰か、そのきっかけを知っている者がいたら教えてほしい。

また、『テンポ派』の書き手である私が、しかもついこの間まで『一人称羞恥心』に悩まされていた私が、物語を俯瞰で見るような文章を書くことはないだろう。私には更に根深い『三人称羞恥心』があるからだ。
それと、もうひとつ私には『1000文字の壁』というものがある。1000文字くらいがエッセイを(スマホで)読むには丁度よく、現代日本人のエッセイ読みの限界を1000文字と決めてしまったことにより、書いていても読んでいても、もの足りないことがある。なにか1000文字だと若干の尻つぼみ感がでているような気もする。

さあ、1000文字を超えた。エッセイを終わろう。そんなふうになってしまった。これは痛し痒しでまだ解決していない。スマホで読むか、パソコンで読むかでずいぶん違うから仕方ないのかも知れない。
でも、よい発見としては『1000文字の壁』を利用して、私は休憩を入れることを覚えた。これは、私にあっていた。私は一気にどばばばはっと5000字くらい書くタイプではない。1000文字くらい書いたら「ふう」と休憩が必要なタイプの書き手だった。
さあ、このエッセイも、1000文字の壁を越えた。終わろう。
そうだ、書き忘れた。『私』は、『わたし』と読んでほしい。

あ、今さらですが、このエッセイを私の自己紹介にしようと思います。
今夏、虫垂炎からの盲腸癌ステージ2になり、10日入院。手術成功。その後、再発防止の抗がん剤治療を始めるも、4日目からの副作用(たぶん)で、不眠になる。その後、心療内科を受診する。『不安神経症』と『むずむず脚症候群』という立派な病名を頂いた。病名が2つあるので分かりにくいこともあり、私のネーミングセンスで病名を『鬱々不安頭』とした。そして、完全に抗がん剤治療を止める。その後の療養中に働き口をなくし、リアムギャラガー式(後ろで手を組む)の歩き方で、ハローワークに行くものの書類の不備で追い返される。仕方ない。解っている。群馬は日本のマンチェスターなのだから。心療内科の医師との相談で、もうすこし傷病手当金をもらいながらの療養を勧められる。暇を持て余してnoteに入り浸る。朝に2錠、夕に3錠、寝る前に2錠の薬を飲んでいる。現在は、そのお陰で『鬱々不安頭』からは脱している。『闘病』と言うよりも私の感覚では『遊病』だ。カワサキW650を所有している。noteには、エッセイ、小説、詩を書いている。「書くということは野蛮で図々しいことでくだらなくもある」、その言葉を食べて腹を満腹にして文章を書いている。神社仏閣にお参りをするときは「なるようになりますように」とお願いをする。ネーミングセンスには自信をもっており、ずぼらな性格な私を『ズボラー•ザ•ズボラッチャー』なのだから仕方ないと諦めの口実に利用する。先日、大室公園で見たでんぐりがえしをする小学生の兄弟『デングラーブラザーズ』に憧れたことから、今年中に人目をさけながら隙を見つけて大室公園で、ひとり『デングラー』になる予定を立ててもいる。

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