以下の文章は私が大学時代に図書館だよりに載せてもらった文章です。ちょうど雨日和を書き出した頃のお話なので、併せて読んでいただけると幸いです。
埼玉の実家から引っ越しの準備中、漫画や本の整理をしていくなかで、あー懐かしい、この本持っていこう、と思ったのが、梨木香歩さんの『西の魔女が死んだ』(2001年、新潮社)でした。この本は児童書を文庫化したものです。最初母からすすめられたときは、なんでこんな暗そうなタイトルの本を…と思ったものでしたが、読み進めていくうちに父からのおさがりの古い机の上で号泣してしまったのを覚えています。私たちは物語に救われながら生きている。そんな気に、させる本です。
私は中学生の時、初めて学校にも親にも連絡せず、授業を休みました。雨の日でした。我が家のトラクター置き場で、菓子パンとペットボトルのお茶を抱えて、ずる休み。絵を描くことも好きでしたから、ノートとシャープペン、消しゴムくらいは持ってきていました。
そのうち不登校になってしまって、家族にもすごく心配をかけました。そのときに読んだ本です。
中学生になって一ヶ月を過ぎると主人公、まいはきっぱりと、学校には行かない、と母親に宣言します。「あそこは私を苦しめる場でしかないの」。喘息が治りかけたところでした。まいはおばあちゃんの住む、山のそばの家で初夏までのひと月を過ごします。
「ずっとここにいてもいいんですよ」
私がずっと欲しかった言葉を、外国のひとであるいわゆる【魔女】なおばあちゃんは簡単に言ってのけた。
おばあちゃんとここで暮らす?
まいも私も思ってもみなかった反応。私は軽くショックを受けていました。ああ、そうか。私はあたたかな居場所が欲しかったのか。ずっと居ていい場所が欲しかったのか? いや違う。そうかもしれないけど、何かがちがう。
そんな疑問が解消されないまま、最近当時14歳の自分から、十年後の手紙、なんてものが届いてしまいました。生意気で無知な少女が、生意気な言葉を使って、今の私を励ましてくれました。いやお前は何もわかっていないなりに、ぐるぐる努力をしてまわったんだね。うん、ありがとう。と、二十四歳の私はそう答えるしかないのです。
その手紙を書き終えた秋に、十四歳の私は不登校から脱し、長編小説を書きだしたり、リレー小説の番外編をノート漫画にして描き記したりします。しまいには父のノートパソコンを壊すほど、物語の創作に打ちこみ始めたのです。
どうしてそんな力があったのか、今の私には到底理解できません。苦しんでいた私は、何かを覆すほどの活力なんて、持ち得ていなかったはずです。それでもやろうと思った、努力し始めた。というより、叫び出したくてしょうがなかったのでしょう。
かえれないあの頃に戻って、描くことはできないけれど、今「そのとき」を書き連ねていければ、記すことができたなら、もう少し私たち創作家は幸せになれるのかもしれません。
※この後あの頃に戻れないとか思ってるからダメなんだよ、馬鹿! と姉に説教されました。
終わりです。閲覧ありがとうございました。😄