※このお話は、諸々が生じなかったif世界のちょうど今くらいの時間軸の話になります。限りなく本編に近い、ありえない世界の話です。
花見とは、古くから日本で親しまれて来た春の行事である。
遡れば、平安時代の和歌ですら桜のことを詠っているの大量に見つかるし、現在では主流となっているソメイヨシノ以外にも、ヤマザクラ、オオシマザクラ、カンヒザクラ、エドヒガンといった様々な品種が日本中で楽しまれている。
つまり花見とはもはや日本人の遺伝子に組み込まれた行事であり、花見をするというのは日本人として当然の行いなのである。
「だからお花見に行こう」
「意味が分からない」
先程までの説明を垂れ流されたあとの言葉に、俺は首をかしげる。
俺にわざわざ説明をしてくれた男は、大学の同期であり、そこそこ仲良くやっていると思われる石蕗という男だ。
時は、大学二年と三年の狭間の時期。
大学生の春休みという、今までの人生の常識を覆すような長大な休暇の最中、思い出したように誘われた飲みの席での一言であった。
今日は俺の部屋での開催とのことで、急になんだよと思いつつ掃除などして待っていたところで、石蕗ほか2名(セイジとアキラ)ほどが俺の家にやってきて、飲み会開始しばらくしてそんなことを言い出したのだ。
「俺たちも大学生として、もう半分の時間が経過したわけじゃん」
「一応二年は経ったなぁ」
「それで、この短い四年の間に、モラトリアムを精一杯謳歌しようと心に決めているわけじゃん」
「それを精一杯謳歌してる奴は大学が五年にも六年にもなるけどな」
これは冗談でも何でもない。
他の大学、とりわけ文系の学部のことは流石に全く分からないが、少なくともウチの大学の工学部でモラトリアムを謳歌しすぎた奴は留年する。
具体的に言うと、二年次の電電──電気電子工学科──の奴は必修科目が六つくらいあって、一つでも落としたら留年確定というレッドゾーンのはずだ。
「東京の大学に入ったら! 女の子とイチャイチャするサークルに入って! 花見して、夏合宿して、バーベキューして、スキーして! そういう生活が送れると思ってた!」
「なんで工学部来たの?」
「だから花見、しよう」
「だからの意味が分からない」
この言い方であれば、まるで、花見をすれば女の子とイチャイチャできると考えているようだった。
だが現実は非情である。
花見の場を用意しても、そこに呼べる女の子が居なければイチャイチャはできないのだ。
とはいえ。
「そもそも、石蕗はなんかいっつも女子とつるんでるし、いつものメンバーでお花見の一つでもできるんじゃねえの」
当然の認識である。
俺たちの学科内においても、石蕗は男にも女にも人気のある、いわば中心人物だ。
大学は高校までとは違って、同じ学科の同期で一緒に何かをするというようなイベントが乏しい。
そんな中でも積極的に縦横の交流を持っている石蕗を、俺は純粋にすごいと思っている。
別に、特別なことをしなくても、彼女の一人や二人できていてもおかしくないと思う。
そして、お花見くらいはサークルなんか関係なく、いくらでも開けばいいと思う。
俺は正直、こう、春休みはゲームやるのに忙しいからあんまり出歩きたくないというか、ね。
「…………」
なのに、石蕗は押し黙ったままである。
どうしてもここでお花見を開き、俺を誘わねばならぬのだ、という意思を感じさせるような。
花見、女子、強引な誘い、酒で判断力を落として、何かお願いごとでも……たとえば、幸せになれるツボ?
その雰囲気をじっと感じ取って、俺はそっと言った。
「俺は神を信じてないぞ。どちらかといえば殴り倒すものだと思っている」
「そういう怪しい話じゃないんだよ! ただこう、ちょっと事情があるっていうか!」
「良かった。お友達料を払っている女友達なんて居なかったんだね」
友人が悪い女や宗教に貢いでいるという状況ではなくて安心した。そういう女友達の裏には怖いおじさんとかがいるものだからね。
まぁ、安心したところで、じゃあなんで俺を誘ってくるんだという疑問も生まれる。
言っちゃ悪いが、俺は路傍に転がっている石のようなもので、別に花見に誘おうが誘わまいがどっちでも変わらんくらいの存在だと思うんだけど。
そう思っていたところで、これまで石蕗に語らせるままだった友人の一人、セイジが口を開いた。
「石蕗、やっぱ無理に上杉は誘わなくていいんじゃないか?」
「そうそう。あの子に悪いし」
もう一人の友人のアキラもそれに続いたところで、俺は思う。
どういう擁護の仕方だよ。
あの子に悪いって、今は茉莉ちゃんの話はしていないだろう。
「いや、もう正直に言うわ。あれなんだよ。実は上杉と話してみたいって子がいてだな。その子が上杉が来るなら一緒に行くみたいな感じを出しててな」
「今回はご縁がなかったということで」
「そこをなんとか! 俺を助けると思って!」
いったい、俺が行くことで参加するという物好きの女子がなんだというのか。
そうは思うのだが、石蕗が食い下がって来るので、結局は俺が折れることになった。
別に花見に興味がないというわけじゃない。桜の下でやる飲み会自体には心惹かれるものはある。
ただ、そこに不純物が混じってそうなのが嫌なだけなんだよな。
「というわけで、来週の土曜は遊べなくなったから」
「え? なにそれ?」
俺が花見の参加予定を話し、そのせいで土曜日の予定が潰れることを伝えると、茉莉ちゃんは露骨にトゲのある声を出した。
春休み期間というのは、学生には等しく訪れる。
しかし、その長さは平等ではない。
大学生の春休みは二月の半ばから四月までと、それまでの学生の夏休みにも匹敵する長い時間が与えられている。
だが、それは高校生である茉莉ちゃんには存在しないものだ。
彼女の春休みは、終業式を終えてからのいいとこ二週間弱くらいであり、俺と茉莉ちゃんの休み格差は広がる一方である。
平日も、早く帰ってこれる日は俺の家に遊びに来たりもする、今日もそんな日だ。
だが、当然ながらいつも平日に遊びに来るわけではない。
だからこそ、茉莉ちゃんは土日は時間をちゃんと開けろと要求してくる。
平日は学校があるから土日は長く遊ばせろという、ごく当たり前の要求、だろうか?
俺としては、そこに強い否定はない。
自分がゲームをやるのも人がゲームをプレイしているのも、どちらも好きだ。
そういう意味では、他人のゲーム動画とかも嫌いではないんだが、なんと言うんだろうな。
自分が好きだったゲームを、自分の隣でやってくれるのが、さらに好きというか。
つまり、俺の好きなゲームを茉莉ちゃんがやっている土日は嫌いじゃない。
だが、だからといって土日を全て茉莉ちゃんに捧げるというわけでもない。新作が出た時にはご遠慮いただくこともある。
そもそも彼女にだって彼女の人間関係があるし、そこに俺が押し入ることもない。
それなので、今回はたまたま土曜日が予定日として潰れてしまうことになったが、多少悪いとは思いつつも仕方ないと諦めて欲しい。
諦めて欲しいのだが。
茉莉ちゃんは、プレイ中のややレトロなアクションRPGを放置して、俺を見た。
「男だけで花見やるの?」
「いや、なんか女子も来るって。なんか俺と話してみたいとかいう女子がいるとかで俺も無理やり参加になって」
「ふぅん?」
それまではやや穏やかだった茉莉ちゃんが、ここに来て目に見えて険しい顔をした。
「私より、そのなんとかいう女の方が大事なんだ?」
「そういう話じゃないでしょ。人付き合いっていうのはそういうもんだよ」
「そういう話でしょ。やっぱり今の志摩くんだと、目をつけて来る女子も現れるか……」
「どこ目線だよ」
と言いながら、なんとなく仲の良い兄に彼女ができたと思って拗ねる妹みたいだなとは思った。受け売りである。
俺に妹はいないが、妹キャラとはそういうものだと俺に熱弁したのは……アイドルオタクの佐竹だったか。
あいつは、ライブチケットが当選したアストなんとかいうアイドルに金を貢ぎすぎて、春休みはバイト漬けって言ってたなぁ。
「ねぇ志摩くん。そのお花見って来週の土曜って話だよね?」
「うん」
茉莉ちゃんは俺にそう確認し、なにやらスマホをポチポチとやって、にらめっこする。
そして、うんと頷き、こう言った。
「私も行っていい? お花見」
「えぇ?」
茉莉ちゃんの目には、確かな力強さが宿っていた。断られるとは一ミリたりとて思っていないと、その顔には書いてあった。
いや、大学の飲み会に女子高生を連れて行くとか、許されるのか?
建前上は花を見る会だが、大学生の花見とは花はなんでも良いから酒を飲む会である。
茉莉ちゃんが来ること自体はいいとしても、大学生の飲み会に参加して楽しめるとは思えない。
「茉莉ちゃんが来ても、楽しくないと思うけど」
「やろうと思ってたゲームをお預けされるほうが楽しくないんだけど?」
「…………」
こう、確かにって思うとなんとも言い難いなぁ。
「茉莉ちゃんだったら、別に俺の家で勝手にゲームやってても、まぁ、良いけど?」
「それじゃ楽しくない。志摩くんが隣にいて、適度にアドバイスしてくれるからいいんじゃん」
「それは、そういうもんか」
否定はできないし、少しだけ嬉しかった。
俺自身、そういう茉莉ちゃんのプレイに楽しみを見出しているのだから、これはどっちもどっちだ。
となると、約束をしていたわけではないが、やや不義理なのは俺かなぁ。
「でも、その頃には茉莉ちゃんももう春休みだし、土日も平日もあんま変わんないんじゃ」
「志摩くんは、私が来ると困るの?」
「困りはしないけど」
別に困りはしない。ただ、周りのバカな大学生が茉莉ちゃんに変なちょっかいを出さないように。見張る仕事が増えるだけだ。
世の中は自由恋愛とはいえ、大家さんの大切な娘さんを、野郎の魔の手からそれとなく守る必要があると思う。
うーんと悩んでから、俺は言う。
「とりあえず、茉莉ちゃんはまず大家さんにちゃんと確認して。それでOKだったら、こっちで改めて聞いて見るから」
「もうOKもらった」
電光石火かな。
さっきのスマホのやりとりはそれだったのかぁ、と感心しながら、俺は仕方なく石蕗に訪ねた。
答えはこちらもOKであった。
こうして、茉莉ちゃんの花見への参加が決まったのである。
後編(限定版)へ続く(明日更新予定)