こんばんは、三門兵装です。
皆さんいかがお過ごしですか。
私は、うん。ちゃんとセンチメンタルな心地に浸れています。
カクヨムは、私の一部でしたから、だなんて昨日と同じことを言っても面白くもないでしょうで、ある種のログとして、今の「私」を電子の海へ放出していきましょうか。
ちゃらんぽらんではありますが、根本が未練がましい心にございますから、たらたらと書きつづるだけ書きつづって、力尽きてからさようならを言おうと思います。カク友のみなさんも、休み休みおつきあいくださいな。
⋯⋯あ。てことは私は皆さんからの「おやすみ!」のコメントを読めない訳だ。淋しいな。
じゃあ、そうですね……………。
まずは、頑張ったことの話から。
今日の正午をもって閉幕したカクヨム甲子園ですが、昨年度は(自業自得なのですが)、気取って言うなら精神的不調のせいでまあ、体たらくになっていて。
それを悪だとは言いたくないですし、経験として落としこむのも違うのですが、何よりもほとんど推敲もしていない、頭にばっと浮かんだままの作品を投稿してしまったことを後悔していて。
だから今年は「何を伝えたいのか」を意識して書きました。プロットを書いて(思えば短編作家なのに)三幕八場も立ててみて、主人公と対話することはできなくても、自分のなかに情景を描けるくらいには整合性を考えて。
お陰で、この夏にタイトル プロット、あるいは作品の一部だけをつくって、そのままのものが大量に生まれました。公開したのは3作品ですけれど、その5倍はプロットまではできていたりするんですよ。昨年は2作書いて2作投稿でしたから、それに比べたらよく頑張った気がする。
ああ、そして、
今年の思い切ったこととしては、明確にこころを切り分けたことでしょうか、えへへ、未紋のことです。『n次元ヴェクタ』(リンク)をして未紋が表現してくれていて、私としては「これだ!」って感じなのですが。
にゃはは、宣伝か。
わたしって、そそっかしい割に変に自信があってそれなのに上がり症で冷めた人間でして……ね? 複雑すぎるでしょう。
でね、複雑なもののほうが優れてるとか、そんなことを頭の中で思っているから自分に酔っていて、だけど酔っているだけだから自分で自分を取り扱えていなくて。
そんなの、訳ないじゃないですか。
上手くいかないときには、自分をまず知ることが大切。
己を知り彼を知れば⋯⋯というものですね。
でもそれって、どうしたらいいんでしょう。
こころは、どうやったら知ることができるんでしょう。
ああ、特殊化しよう、というのがわたしの答えだったようです。
実は、未紋以外にも心はたくさんいて、うん、まぁ、当たり前といえば当たり前なんですが。
例えば、通りがかりにたばこの煙を吹きかけられたとして。
ありませんかね、想像のなかでその人の頭をひっぱたきに行っている自分と、思いっきり顔をしかめている自分と、その人に怯えている自分とがいるのに、結局わたしは柔和な顔を、きっとしていて。ぐちゃぐちゃのその感じが、漠然と「わたし」なんだなっていう感じ。
だから、その心をちまちまと細分化してみまして。そうしたら多少扱いやすくなったかな、客観視のお陰でしょうか。兎にも角にも、この試みのお陰で「わたし」をよく知ることが
できたように感じています。
そう、未紋たちと「わたし」を見つめていたことも相まって、勝率(この言い方は嫌)は低いですが推薦入試に挑んでみることにしたんですよ。
うん、頑張って一歩をふみ出して良かったな。
でも、後悔もたくさんあるんです。
実は1月から計画を練っていたんですよ、未紋のことって。手帳型のメモ帳に、大きな作品の流れを決めて、近況ノートの話題も決めて、未紋すらストーリーの一部として、壮大な物語を描こうと思って。#連番シリーズがそのなごりですね。
でも、うまくいきませんでした。
心が心であるものだから、例えば未紋は「わたし」が落ちこんでいるときにしか本領を発揮できないし、私も追いこまれて狂えないと本調子になれない。
あと、頭のキャパがかなり厳しいのか、忘れっぽくなったような気がします。それに、責任の所在が行方不明になってしまうのも難点でしたね。
良くも悪くも、若気の至り。
でも心を殺すことができるほど勇壮でも無いので、時が忘れるのに任せるか……或いは、その前にここに帰って来るかもしれないですけれどね。
ああ、あと。
自分の知ってるものがいかに狭いかということ。
私たちって結構あっさりと、知らないことに対して「は?」って言ってしまうけれど。
たちの悪いことに、それって大体私がそれについて相応に知見があると思っているからで。
思い知ったのか、何が足りなかったのか。
結局わからないまんまで半年間が過ぎてしまったけれど、私は結局長編を書くことができなかったし、第三者視点も書くことができなかった。
読書は去年よりもうんと楽しんで、普段読まない作者さんの作品にも手を伸ばしたりはしてみたのですけれどね。
知ったかぶりとは、恐ろしいものです。
誰かに欠けたるところを、教えてもらいたいものですね。
でもでも、作品を書くことについて、言葉にすることについては多少答えが収束してきているような気がして。
思うに、言葉を贈るとはこころを扱うことだと思いました。
言葉は曖昧を曖昧のまんま伝えるためのツールのようなものだと思えます。そしてまた、「これだ!」を見つけるために書いて、読むんじゃ無いでしょうか。
こころは大きな虚白みたいなもので、どれだけ見渡してもわからないから、そこに物語だったり言葉だったりを嵌め込んで何とかこころを知ろうとしているような。
うん。そのこころは未紋にも通じていたような。ふふ、カクヨム甲子園応募作品については「わたし」の話ばっかりでしたもんね。
あとは、そうだな。
ありがとうの話とか?
そう。良くも悪くも足掻いたおかげで、カク友の皆さんにもたくさんお世話になって、また勝手に憧れたりもして。
いっぱいのありがとうを捕まえられました。
うん、うん。
一旦感傷に浸りまして、8時にまたねを言いに来ます(しつこいよ、あんた)
8時の更新に続きます!