1日考えた。
本当はもっと前から考えていたけれど、今日は授業中もぶっ通しで考え続けた。目がキマっていた可能性があるので、同級生には怖がられたかもしれない……悪意はないんだっ。
論理国語についている小説の文字数を概算して、文字数とテーマの壮大さの関係を推し量ってみたりもした。
心温まるお話が千数百文字で綴られていて、重苦しい戦争の傷跡を描いた物語も、重厚に思えたのに六千文字と少しで書かれていた。
私に何が足りないのか。
きっと何もかも足りないのだけれど、そんな事は言っても仕方がなくて。ひとまずは、一人称と三人称の棲み分けだとか、時間感覚の操り方に改善の余地が大いにあるだろうという結論に至った。
家に帰って、有川浩さんの『阪急電車』を読んでみた。ハードカバーの、しっかりとした短編集だと思っていたけれど、実は1話が五〜六千文字しか無かったことに驚いた。
つまり、世界観に引き込めばそのわずか五千文字にも没入することができるということらしい。
長編で言えば、白鳥かおるさんの『おまえだけは選ばない』を読んでみた。――早起きして読んだ甲斐があったと思えるほどに、温かさを残していく物語だった。一日で読んでしまった。ある意味では、超かぐや姫を見きったあとの、激情が渦巻いて多少のつっかかりのその一切をひっくるめて愛してしまうような、そんな引き込み方をする物語だったように思える。
文庫を買っても良いかなと思うくらいには気に入った。
読み比べたおかげで、わかったこともあった。
きっと読者は説明を望んでいるんじゃない。
長編ですら感情と補足知識の提示に努め、情景描写に括っているとは言い難い。知らず知らずのうちに、或いは私は知識の補填と情景描写を混同していたのだろう。
いわんや、短編に求められてるのは整合性ではなかった。矛盾がないことは、あくまでも物語の土台に過ぎない。お話のなかではタイムリープが起ころうが、電車内で会話しようが、ほんの一瞬の間に数千文字を詰め込もうが、誰も気にしない。
或いは、明確な矛盾や、主人公の動機にかかる矛盾でない限りは――物語の根本を壊す矛盾でない限りは、それは没入感を邪魔するささくれのようなものにすぎなくて。そして、そういう矛盾に限って、リアルさを追求した情景描写の中にあると、私は感じた。そしてそういうものにこそ私が括って上滑りの文字数を増やしているということも。
案外、短編小説に求められているのは一人の人間の人生でもなく、或いは一日一夜の物語ですら壮大すぎて、ある刹那が生み出す心の揺れ、要は読者にとっての心の適度な揺らぎなのかもしれないと思った。
気づくのが遅すぎたせいで、私はあいも変わらず誰かの人生をぼんやりと見せた作品をカクヨム甲子園に投稿することになるかもしれない。一日一夜物語なんて、一昨日に書き上げたばかりだ。
でも、この感覚がこれまでの感覚よりも少し正解に近づいているなら嬉しいと思う。
思い返せば、私はプロットを書く時に3幕8場を用意するのだけれど、確かにあれは長編のためのプロットだったか。
愚かしい……けど、賢しくもそれで自分の好きな物語を妄想はできた。
私は欲張りだから、多分命題を定めるのが苦手なのだと思う。だけど文体はこれに反して心と情景ばかりを描くから長編には向いていないのかもしれない。
イモムシみたいな前進を、ほんの少し報告しようと思ってスマホで書き始めたら、思ったよりも語ってしまった。
多分きっと、整合性は取れていないと思う。
でもまぁ、そういうものかもしれない。
あ、今日の私は誰だったんだろう。
三門兵装にしては達観しすぎていて、未紋にしては……いや、未紋かな。
じゃあ、このまんまじゃ社会的に落ちぶれちゃいますな。あはは、切り替えなんて大の苦手なのですが。
このじゃじゃ馬、自分の感情以外の何物も気にしないんだから。
あそっか、だから今私満ち足りてるのか。
うーわ、何やってんだか。
とまぁ、そういう感じでした。
フリック入力、遅い割には指がつかれますね……。何気に二十分くらい文字を打っていました。
では、おやすみなさいませ。
以上、失礼。