本題に入るまえに、いつも小説よんでくれる人、有難うございます。
いろいろあって、小説を一気にアップします。
本題1
いつも、小説書くの止めようと思っていました。
でも、書いてしまって。書きたくなってしまって。
小説サイトにアップしてしまいます。
すっぱりやめられたら、楽なのにね。
そして、私が小説を書くこともまた私の自由だと思ってます。
やめるのも、書くのも。
今回カクヨムに登録したのは、あるエッセイを頻繁に読んでいたので、アカウント取った方がすぐに読めると思ったから。読み専目的でとったけど、結局小説アップしていますね。
本題2
前のアカウントのときのことだけど。
わたしはいろいろコメントを残したことがあった。
それは、なにかにちょっと困っている人に共感して、コメントしていた。
なぜなら、わたしもいろいろと困っていることが多かったからだ。
困ったことが多いので、わたしは国のセーフティネット的な制度をわりとよく知っている。
だから、そういうのを伝えれば少しはいまの状況が好転するのではないかと思ったからだ。大きなお世話かもしれないが、お金のことや、支援のことは、知っていて損はないと思ったから。
だから、コメント欄にその制度などを書いた。
まったくの他人、知らないネット世界の人でも、その人がエッセイなどでつらいことを訴えていたから。
でも、ウザがられていたかもしれない。
現実的な支援制度よりも、ただ、つらいことを訴えたかっただけだったのかも。今はそう思う。
わたしが伝えたかったことは、その人にはうるさいことで、マウントを取られていると思われていたかもな、と思った。
わたしは情報を伝えたかっただけだった。
それをどう利用するかは、その人の判断だ。
別にこうしろと強制もしていない。
情報って、大切だと思う。
例えば、お腹をすかせた子供がいたとして、子ども食堂が近くにあることを知っているのと知らないのとでは、雲泥の差があるし、助け合うコミュニティの支援もあると思う。これはたとえの話しだけど。
人(友人でも)は、そう長くは助けてはくれない。とわたしは思っている。
その人の生活があると思うから。
その人の生活をみだせば、距離をおかれるものだ。
だから、国や自治体の支援が大事なのだ。
これは、支援がきまれば仕事と割り切ってくれるから。(もちろん、失礼な態度はとってはいけない)
※コメントといえば、その他にも共感した記事にもコメントしたが、それはまた別のはなし。こっちは書くとまた面倒なことになるので割愛する。
いまさら、どうしてこんなことを、と思うと思うけど、誤解なきようにしておきたかったから、近況ノートに書いた。
わたしは、いままでいろいろ黙っていたが、誤解は解く努力と必要がある。
それが言葉の使い方だ。
と思ったから。
この記事を読む人はあまりいないだろうけど。