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ザイロの本棚 (勇者刑SS)

 炎が揺れている。
 本を読みながら、いつの間にか眠っていたらしい。ただ、ほんの数分といったところだろう。灯していた蝋燭はまだ十分な長さがあった。
 ザイロ・フォルバーツは顔をあげる――そして背筋が冷えた。背後に立っている男がいる。

「なんだよ」
 気配を感じなかったのは、何が理由なのか。少し考えて思い至る。
 この男にはおよそ生命反応と呼べるものが、ほとんど何も感じられない。呼吸。脈拍。そうしたものが極端に希薄なのではないか。――たまに死人かと見間違うほどに。
 タツヤの気配が最もこの男に近いが、彼はいつも唸り声のようなものをあげている。

「ライノー。何度も言わせるな、人の部屋に黙って入ってくるのはやめろ」
「ああ……なるほど? それは失礼だったね。眠っている人を起こすのは失礼にあたると思ったからさ」
 その死人のような男――つまりライノーは、薄く笑った。まるで反省の意図を感じられない。ザイロは鈍い頭痛の前兆を感じ、読みかけの本を閉じた。

「お前みたいなやつに、黙って後ろに立たれると気分が悪い」
「そういうものかな? 反省しよう。以後、気を付けるよ。それより」
「本当に反省してるやつの台詞じゃねえな。なんだその強引な話題の切り替えは」
「それより、同志ザイロ――きみが読んでいる本について聞いてもいいかな? いったい何を読んでいるのかな」

 ライノーは、こんなときだけ奇妙な勘の良さを発揮する。
「いつもの『詩』ではないね」
「ああ」
 ザイロは呻いた。正直なところ、あまり好みの本ではなかった。だから読みながら、つい転寝をしてしまった。
「俺は本ならなんでも読む……が、こいつは推理小説だな。個人的な意見で言うと、当たり外れが大きい」

「と、いうと? 聞いたことのない種類の読み物だね」
「この手の本の主題は『謎』だ。謎があって、登場人物がそれを推理する」
「ううん? つまり……謎かけ、みたいなものかな?」
「まあ、それでもいいか。っていうかお前、こういう本読んだことないのか?」
「うん。僕は辺境の出身だから本のような印刷物を製作配布する技術が発展しておらず大衆娯楽小説の類は享受できない環境にいたんだ」
「……そうか」

 ライノーがすらすらと、まるで何かを暗唱するように答えたのは引っかかった。
 が、結局は無視した。気にしても仕方がない。この一年弱の付き合いで徐々にわかってきたことだ。
 それより、ザイロにはより優先すべきことがあった。

「……お前、こういうの読むか?」
「え? 貸してくれるのかい? 本当に?」
 ライノーは満面の笑みを浮かべた。
「嬉しいな! 同志ザイロと個人的な趣味を共有できるかもしれない。その可能性に僕はいまとても興奮しているよ!」
「あ、やっぱやめようかな……いまの、すげえ気持ち悪いし……」
「そんな。喜びを表現しすぎたのかな? もう少し控えめにしようか?」
「そういう問題じゃねえんだけど」

 ザイロはため息をついた。そして、傍らの木箱を抱え上げる。
 彼にとって、数少ない私物と呼べそうなもの――それも嗜好品の類が入った箱。一抱えほどのそれが、いまのザイロのすべてだった。
「貸してやってもいい。ただ、いま俺が読んでるこいつはやめとけ。謎の仕掛けが入門向けじゃない」
 言いながら、ザイロは一冊、二冊と手に取り、本を机に並べていく。
「お前、海と山のどっちが好きだ? 漂流する船と、山奥の館」
「難しい質問だね。どっちが好き、というのは考えたこともないんだけど」
「じゃあ初心者だし、漂流する船の方でいくか。こいつはまあ、設定がわかりやすいし登場人物も面白いから――」

 こうしてザイロは後悔することになる。
 この男、ライノーに推理小説など読ませるべきではなかったということを。

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