オレは、竜二という名前みたいにカッコよくなりたかった。
だけど親父は、次男のオレにお袋の真似事をさせてクソみたいに可愛がった。
少しでもうまくいかないことがあると癇癪を起こす兄貴より、オレの方がずっと優れているとわかっていた。
それでも、生まれた順番だけで跡取りになれないことにムカついていた。
世の中のすべてにイライラして、すべてを滅ぼしてやりたかった。
勢いに任せて、無理やり習い事から逃げ出した。
「……ね、どうしたの?」
視力矯正用グラスをかけた女が、ニッコリと話しかけてきた。
「そんなに怒っちゃうと、可愛い顔が台無しだよ」
「……うるせえ。なんだお前」
「わ、声も可愛い」
鬱陶しいくらい、和やかな奴だった。
「ね。習い事なんて、意味ないよね」
「あ?」
「あれ? 逃げてきたんじゃないの? 私と同じでさ」
女は、「私って心が読めるんだ」とふざけたことを言ってきた。
「私さ。自分が特別な人間だって、知ってるんだ。誰とどんなところにいても、絶対に幸せになれる。だから、こうやってたまにサボったっていいじゃない。男の人になんて、習い事でも会いたくない。パパでギリギリってところかな」
「変な奴だな」
「よく言われる。でもね、みんなの方が変。幸せになれないなんて思って生きる方が、ずっと苦しいじゃない」
「……オレは、不幸だよ」
「そんな顔してる。かわいそうだね」
「お前になにがわかる」
「なんでもわかるよ」
グラスの奥の微笑みを絶やさずに、彼女は言った。
「あなたは可愛いのに、カッコ良くなりたい。でも、本当はずっとさびしい。そのままのカッコいい自分を、愛してあげられないから」
「お前、何者だよ」
「美原沙里須。この目にかかれば、女の子のことはなんでもお見通しだよ。あまりに目が良すぎて疲れちゃうから、こんなグラスをかけてるけど。外して見つめれば、ほら」
じぃっと、沙里須はオレの目を見つめてきた。
「あなたがどんなにかわいくて、素敵な人かなんて全部わかる。私がはじめて見つめる男の子も、あなたみたいに素敵ならいいな」
***
沙里須とオレは、一日ゆっくり話した。
オレの下らない冒険や、くだらない家族のこと。
お袋が死んでから親父がおかしくなって、オレに『代わり』を求めるようになったこと。
オレが親父に『可愛がられている』姿を覗いてから、兄貴がオレをねばつくような気持ち悪い目で見てくること。
沙里須は男が嫌いみたいだったから、オレは女の子のふりをしていた。
せっかくできた話し相手に、離れられたくなかった。
竜二という名前をもじって、タツミと名乗った。
「……タツミちゃんは、悪くないよ」
沙里須は、オレの手をそっと握った。
柔らかい暖かさは、親父のそれと違って全然嫌じゃなかった。
「私の幸せエネルギー、分けてあげるね」
甘くて落ち着く、花の香り。
それが彼女から漂うものか、ふたりで話した野原に咲く花によるものかわからなかったけれど。
もっとほしい。
「きゃ」
「……沙里須。沙里須」
不思議だった。
親父に抱き締められることは、あんなに生臭くて嫌なのに。
沙里須を抱き締めたとき、はじめてオレの内側は心地良い熱を帯びた。
「もー。甘えん坊だなあ。タツミちゃんが男の子だったら、責任とって結婚ものだよ」
「結婚……」
「まだ早いって思った? でもね、私は知ってるんだ。私たちは、自分で思うより早く大人になるって」
耳をくすぐる声は、頭の中に残らなかった。
ただ、彼女の柔らかさと温もりが、オレを溶かしてくれていた。
***
「……うそ」
「ごめん」
オレは、沙里須に隠し事なんてできなかった。
最低だ。女の子を無理やり抱き締めるなんて、親父のことをバカにできない。
しばらくの沈黙のあと、沙里須はため息をついた。
「はあ。意外と早かったなぁ」
「怒って……ないのか?」
「見つめちゃったものはしょうがないじゃん。タツミちゃん…じゃなくて、竜ちゃん。責任はとってもらうからね」
「で、でも、うちは面倒臭い家だぞ。貴族の結婚っつーのは、次男坊でも親に決められる」
「うちも貴族だよ? パパは、ノーブル星の宮廷医師。格で言ったら、一地方を管理するくらいのおうちにはちょっと負けないよ」
ふふ、と沙里須は笑う。
「そうじゃなくても、私は絶対に決めたことをやりとげるけどね。はじめて見つめた男の子と幸せになることも、諦めない」
どんな手を使っても、誰にも負けない支配者になる。
こいつの笑顔を見て、オレはその決意を固めた。
「責任とってね、旦那さま」
☆☆☆
「ヒトミさんって、いつもカモミールティ-を持ち歩いてますよね。その香りだけで、あぁ、ヒトミさんだなってわかります」
紙狂いちゃんが、羨ましそうにオレを見てくる。
「そういう優雅な趣味、私はないからなぁ」
「紙狂いちゃんの紙への愛着も、素敵ですよ。それにこれは、趣味というより生活の一部のようなものです」
「生活?」
「ええ、あなたにとってのハカセくんの手と同じ。常に近くにおかないと、落ち着かないものなのです。ほかの嫁からは少しばかり、贔屓だと寂しそうな顔をされますが」
《カモミールは、ノーブル星の名産です。安らぎを届ける香りが、優雅な貴族に好まれました》
レディがいつも通り、小うるさい補足を入れてくる。
「ヒトミがスォックに最初に命じた商談は、不足したカモミールの調達だった。好きなものが手元にない寂しさをこいつはよくわかってる。だから、紙畑の復興には絶対乗ってくると思って交渉したんだ」
ハカセが調子づいて合いの手を入れてくる。
人の好意を、自分の手柄のように言うんじゃねぇ。
……ま、今は気分が良いから許してやる。
「私にとってこの香りは、ただの嗜好品ではありません。今も大切にそばにいてくれる初恋の思い出です」
「初恋……」
「もちろん、私が初恋相手を射止めないはずがないですよね? 今は第一夫人をしてくれていますよ」
「いい風に言ってるけど、サリスが女と間違えてお前を見つめちまったから責任とっただけだろ。しかも、どっちかって言うとサリスが手を回してお前を許嫁にしたって聞いてるぞ」
「……そのようなことは、ハカセくんに教えていないはずですが」
「やべ」
「はあ、あのバカ犬ですか。まったく、うちの家に潜んでいる間にどれだけのことを調べたのですかね」
《ウェスさまなりに、なんとかヒトミさまの弱みを握ろうとしていたのかと分析します》
「っていうか、そんな大切な人がいるのに別のお嫁さんを持つ神経が私にはわかんないんだけど」
「愛の懐が広くなった、とでも言いましょうか。それでも、やはり跡取りを持ったのはサリスでしたね。誓って言いますが、贔屓などはしていません。あれは本当に、望みをすべて叶える女です」
「いや、贔屓っていうか、サリスさんだけで満足しときなって言ってんだけど」
《紙狂いさま。愛の形は、文化の形以上に他者が立ち入るものではありません》
「……ごめん」
「いえ、気持ちはわかります。ハカセくんやサリスへの、対抗意識のようなものもありました。例え愛する妻だろうと、いいように手の上で転がされるだけは我慢のならない性分なので。もちろん、すべての妻に対して本当に愛情は注いでいますよ」
そうは言っても。
結局オレは、あいつにはかなわないんだろうな。
カモミールティーを飲む。
懐かしいあの日の匂いが、オレを安らぎに連れていく。