少しでも、わかって欲しい。そんな気持ちで書きました
人は言った。逃げるな、卑怯者と。皆は言った。逃げたら負けだって。彼は言う。逃げたやつに未来なんてない。彼女も言った。逃げる奴は弱くてダサいと。
そんな言葉は、何一つとして心には響かなかった。なぜ、人は逃げることを否定するのか。なぜ、逃げることを責めるのか。幼かったころ、まったくもってそれが理解できなかった。逃げてはいけない理由が、立ち向かわなければならない理由がどうしても分からなかった。
今になっても、それが理解できない。立ち向かう勇気は確かに素晴らしいと思う。だが、言って終えばそれだけなのだ。立ち向かったとて、付いてくる結果はただひとつ。逃げたとしてもその先の可能性の未来に残る結果は一つなのだ。
しかし、親や義務教育は立ち向かうことを強要する。また逃げたなと親は叱り、義務教育はやり切らせようと躍起になる。それが、間違っているとは思わない。ただ、肯定しようと思うこともできないが。
ここで、独白しよう。未だかつて、俺は立ち向かったことはない。壁を視認した瞬間には俺は逃走を開始している。
だけど、俺はそれを誇りに思っている。だって、俺は逃げる者だけど、逃亡者じゃないからだ。俺は、逃走者だ。逃げるだけ、諦めて逃げるだけの敗北者ではないんだ。逃げても尚、走り続けるんだ。足を止めずに、全力で走り続けて、走り抜け、最後に勝利を掴むんだ。
いくら遠回りしたっていい。いつか踏みつけて、簡単に越えられるようになって、違う道から辿り着くんだ。逃げたとしても、心が折れなきゃそれは負けじゃないんだ。
弱者だって、卑怯者だって罵られたったね関係ない。自分は自分しかいないんだ。だから、自分を責めないで欲しい。弱気にならないで欲しい。どうか、自分の方法で夢、いや目標を掴んで欲しい。もう叶わぬ夢を見て欲しくないから。
カナワヌ作者らーゆ