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  • 創作論・評論

最近書くのが正義みたいな事書いちゃったのであくまでも私のスタンス再掲載

※これは某名曲「No Logic」の替え歌です。
創作や日々のことでちょっとしんどい時、自分に言い聞かせたくて書きました。
誰かの気持ちも少しでも軽くなれば幸いです。





だいたいそれで良いんじゃないの 雑に書いても良いんじゃないの
少し不安残した方が 逆に伸びしろあるんじゃないの
詰まったら寝れば良いんじゃないの 無理に書かなくて良いんじゃないの
やりたいことやるために 俺たち書いてるんでしょう

だいたいそれで良いんじゃないの 誤字脱字あっても良いんじゃないの
どれだけ構成練ったって 直感で殴った方が刺さるんじゃないの
一つ一つ修正して 一体何をどうしたいの
やりたいことやるために 君は描き始めたんでしょう

完璧な構成なんて組めないから
完璧なプロットなんて見たくないから
不器用な俺は不器用なままで

神様、この文が届くかい 誤字で崩れていたとしても
俺は笑っていたいんです 感想ひとつで泣きたいんです
いつだって自然体でいたいんです
誰もが二度と戻れぬ投稿ボタン 押したあとで後悔しても
今はまだこんな気持ちで気ままに打っていたって、良いよね

だいたいそれで良いんじゃないの PV伸びなくても良いんじゃないの
作り込んだ投稿文が 一文字も読まれないとかあるけど
一つ一つ抱え込んで 一体何をどうしたいの
だいたい完璧なんて 読者は求めてないでしょう?

完璧な文法なんて守れないし
完璧な更新なんてしたくないし
不完全な俺は不完全なままで

神様、この話が届くかい 改稿してボロボロになっても
俺は届けていたいんです この“好き”を信じたいんです
いつだって最後は No Logic
俺たちのこのたった一度の話 どうせいつか終わりが来るなら
伸びなくても投稿するくらいで、良いよね

「書きたいものだけ書いて、ウケ狙いは切り捨てて」
本当は皆、そんな風に書けるわけ……ないよな



潤:
「いやお前、そんなこと言ってねぇで、真剣に書けよ。」

2件のコメント

  • 今回ばかりは、
    潤君の言う通りだにゃん
  • 書くと言う事を……少し考えてみよう……

    書くという行為はつまり宇宙創成であり、我々が白紙に向かうたびにそこには無限の可能性が広がっていて、それはまるで何もなかった場所に突然「ここに世界を創ろう」と決意する神の一筆、つまりそれは初めてポテトにタルタルソースをかけて食べたあの瞬間、えっこれってマヨネーズの親戚?酸味の向こうにある幸福?これが文明か?という衝撃に近く、タルタルとはもはや具現化された可能性の塊であり、その汎用性たるやエビにもチキンにもポテトにも寄り添うその懐の深さに涙を禁じ得ず、そして我々が語尾ににゃんをつけるとき、そこにもまた一種の調味料的役割が生じていて、ただの「おはよう」も「おはようにゃん」となることで柔らかさと破壊力と猫耳が生まれ、あまつさえ「行ってきますにゃん」「ちょっと席外しますにゃん」「原稿間に合いませんにゃん」が成立する時点でこれはもう言語革命であり、もし古代ギリシャににゃん語があれば哲学者たちはパルテノン神殿で「愛とはにゃんである」と語り、「真理はにゃんの中にある」と彫刻していたに違いなく、つまりにゃんとは魂の調味料であり、書くという行為において文末ににゃんを添えることはもはや神の余白に祈りを刻むが如き所作であり──────


    結論:全人類は語尾ににゃんを添えるべきにゃん。
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