昔から豊臣秀吉の出世物語は大好きなのですが、好きだからこそ、ずっと引っかかっていたことがあります。
秀吉が城持ち(一国一城の主)になったのは、わずか30代です。いくら早熟な戦国人としても若すぎます。しかも、なみいる織田家の譜代を差し置いての、大抜擢でした。
明智光秀のように幕府や朝廷との濃い付き合いがある外様のエリートならまだしも、秀吉は通説通りとするなら貧農の息子です。地盤も後ろ盾もない30代の若造が、百戦錬磨の譜代を押しのけてそこまで上がれるだろうか?
いくら優秀な弟がいたとしても、いくら運がよかったとしても、です。
信長は実力主義だとよく言われます。たしかにそうでしょう。でも、織田家中を見渡しても秀吉ほどの身分の低い者はいません。他の有力家臣の多くは、武家や土豪など、何らかの地盤を持つ者たちでした。
なので、「秀吉は、実は織田家の血を引く身内だったんじゃないか?」としばらく前から思いはじめました。
そう考えると、物語として一本の線が見えてきました。
本小説の冒頭、金ケ崎の秀吉は34歳(満33歳)。殿(しんがり)という命がけの重大局面で、一軍を率いるには若すぎます。兵を養うにも大きな財力が必要ですし、何よりそれだけの軍勢や領地を任せるには、信長からの「絶対的な信頼」が必要です。
もし、二人が「身内」であるならば、すべてに説明がつきます。
そんな想像から、この物語は始まりました。
ですが、書き進めていくうちに、ひとつ別の疑問も浮かびました。
人を作るものは、血なのか。
それとも、育った場所なのか。
織田の血。
「木の下の鍛冶屋」という場所。
弥右衛門、仲、小一郎と過ごした泥臭い日々。
それらすべてが重なった先に、のちの木下藤吉郎という怪物が生まれたのではないか。
そんな「もうひとつの太閤記」として楽しんでいただければ幸いです。