神功皇后幻想をお読みいただいてありがとうございます!
公開するまで、とても難産だった、旅立ち編。
古事記・日本書紀では、徳勒津宮から仲哀天皇が、「角鹿を出て豊浦まで来てね」の一文の次はもう豊浦に到着してるんですが、物語に起こすと、こんなに!こんなに話が進まないものなのか!
私自身は竺紫洲の人間でして、犬も歩けば神功皇后にあたる、というくらい神功皇后を祀る神社の多い地域に住んでおり、早く来てくれないかなと心待ちにしているのですが、まだまだ先は長そうです。
なるべく記・紀、風土記などに沿って話を組み立てることを原則にしていますが、今回、加邇米雷王の名前を縮めてしまいました。単純に長かったのと、イカヅチ、を名に追うところにちょっとひっかかりを感じたためです。(なお、大学生当時、当て字と思って、カニメラ王と読んでました)
2点目として、奈良から暗峠を登った場合、磐船神社のほうが、梅の木の伝説の地より手前にあります。ここはなんとかならぬものか頭を抱えましたが、力不足で位置を入れ替えてしまいました。伏してお詫びします。
加邇米雷王と梅の木の伝説のHP
https://www.katano-times.com/archives/kisaichi/52707298.html
古代の話を書いていて、一番困るのが、「お茶」。
会話のシーンでは、小道具として「お茶」をつい出してしまいたくなるのですが、いわゆる緑茶が日本に輸入されたのは、仏教伝来まで下るらしく、また当時は「薬」の立ち位置でした。
「緑茶」はなくても、枇杷茶やよもぎ茶など、煎じれば茶になるものは日本原産のものでも存在します。問題はそれをお茶として飲むような習慣があったかどうか。。。
電子レンジもガスコンロもない時代、温かいものを供する、というのはそれ自体がとても贅沢なことです。なので、豪族のトップである虚空津比売たちだからこそ、湯茶接待ができている、という整理はついているのですが、当時は白湯ばかりだったのか…。そこまでは遺跡からの出土品からわからないかと、頭を悩ませる日々です。
今回、「あまづら」を登場させました。あまづらといえば、平安時代ですが、生産技術が向上するまで長い歴史がその前にあったのよ、と登場せてみました。
あまづらの再現実験のHPです。
https://www.nara-wu.ac.jp/grad-GP-life/bunkashi_hp/amadzura/amadzura_hp.html
さて、今回いったん完結とさせていただいた旅立ち編、
続きは、鋭意、仕込み中です。
できれば、3月に公開したい、、、と考えています。
愉しみにお待ちいただけますと幸甚です。