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幻肢のシュライバー 完結しました!

皆さんこんにちわ。この度、拙作『幻肢のシュライバー』が完結いたしましたので、ご報告とお礼を申し上げます。読んでくれた方ありがとうございました。読んでない方ぜひ読んでみてください。

幻肢のシュライバーは近未来が舞台のSFアクションでしたが、カクヨムのSFはVRMMOが主流のようで、かなり苦戦した印象でした。
普通におもんないから読まれないのか……と血を吐く思いで執筆していましたが、これは面白い! と自信を持って執筆していたのも事実です。だからこそ辛いのですよね。
自分の好みのカウボーイビバップのようなSFはなかなか難しいなぁと感じました。(とはいえ宇宙関係なかったですが。ノリですノリ。)

それでもたくさんの方に読んでいただき、星まで頂けたので、この作品を発表した意味も意義も価値もあったと自負しております。

幻肢のシュライバーを読んでいただき、ありがとうございました。ご意見ご感想があればぜひ頂けたら幸いでございます。

そして、やりたいことをやり遂げたので、幼馴染みの〜の第二部に取り掛かります。
そちらの方もぜひ、よろしくお願いします。


おしやべり

2件のコメント

  • はじめまして、Kと申します。
    というかフォロー頂いておりますので、改めて笑

    幻肢のシュライバー、第一話からずっと読ませて頂いておりました。
    レビューの時点でそうでしたが、申し分のない料理を前にするともう静かに喰わせてくれとなるのと同じく、黙々と読み耽っておりまして、しかし完結した今、読み終わった今、
    「ちょっとシェフを呼んでくれ」
    という段階となり、筆を取った次第です。(笑)

    いや本当に素晴らしく面白かったです!
    流行りのVRMMOモノも決して悪くないのですが、やはり私にとってのSF、カッコいいというのはjpのような無頼の街なのです。
    物語は一つの結末を迎えましたが、新たな局面を迎えたjpでハナは今日も硝煙をくゆらせ、しょうもない事を言っては千鶴と六花、紅蜂に呆れられ、うどんちゃんは六花を経由して日本(北海道)のうどんを取り寄せ、組合長はjpのヤクザらと橘製作所との板挟みになりながらもますますその空手の技に磨きを掛けているのだろう──と、私の中では非常にホットな作品となりました。
    しかし六花の出自や最終回のオチには驚かされました。
    機械か生身かの二項対立の中で、物語は全体的に機械(シュライバー)を優位に描いている、というのはタイトルからして当然ですが、局所的に生身が持つ意志の凄まじさがきちんと描かれています。
    左右で異なるシュライバーを駆使できるハナの柔軟性に始まり、組合長の壮絶な生い立ちから空手を極めた理由、うどんちゃんの全身武器庫化する胆力etc.
    (そこまで人間の選択を過激化させるjp、どんだけ魔境なんだ笑)
    そうして積み上げに積み上げた意志力の凄まじさ、彼らの四肢に回されてきた排他の意志が、最終回にて六花は真逆のモノとして示してくれました。
    すなわち利他の意志力、「思い出した」という事の尊さ、昨日を背負って今日ここに生きる人間には可能性(あした)があるのだと、あらゆる意味で誰よりも機械的な六花が、誰よりも有機的な帰結に至る、これはもう愉快痛快でした!
    六花のお兄さんは政治に傾きすぎて、どうもそうした可能性をリスクとしか解釈できないので、憎むに憎めない、しかしやっぱり憎い敵役という絶妙さ。(笑)
    余談にしてもはや読み手の空想もいいところですが、シュライバーとは「修羅、修羅場が来る」と当初は考えていましたが、六花の語るシュライバーの理想からすると、
    「救いの主が来たる場」だから「主来場(シュライバー)」なのかもと思いました。
    シュライバーもまたこの作品では小道具でなく、立派に登場人物なんですよね。
    長くなりましたが、完結お疲れ様です。
    jpの住人らにもよろしくお伝えください。
    素敵な物語をありがとうございました!
  • K様、おしやべりでございます。
    この度は最後までお読み頂き、しかも素晴らしい感想まで頂戴し、本当にありがとうございます。頂いた感想を何度も読み返しております(笑)

    K様が仰るように、本作のテーマは意思、或いは心意気といった心の強さ、強くなりたいと思う気持ちの物語であると思います。
    これは自分が書くすべての物語に共通するテーマでもあるので、もしよろしければ拙作【幼馴染の武術家少女と暮らす鬼殺しのふるさと】もお読みいただけたらな嬉しいなぁ~と、思っちゃったりなんかしちゃったり・・・はい、すみません宣伝でした。

    話を戻しますが、本作ではいろんな角度から生身VSシュライバーという構図が何度も登場しますが、それが一番顕著なのは橘幻煌とハナの一戦だと思っています。
    私は千鶴の生業のような仕事をしているので生とか死とかを割と真剣に考えることが間々あります。思うところもあります。
    そして生きるとは何ぞやという壮大な疑問に対する私の考えをあのラストバトルにぶつけました。
    結果はどうあれ、お互いがお互いの矜持を賭して真っ向勝負で主張したのは互いの理想であり、それぞれの人間賛歌だったのだと思います。どのような形であれ、生きるという事は素晴らしくありたいと私は思います。現実には難しくてもせめて、物語の中では……。

    と、小難しいことを考えて執筆をしていましたが基本的には読者様に楽しんでいただきたい一心であります。
    そしてK様にはそれを受け取って頂けて私は本当にうれしいです。
    毎回応援をしていただけたことがどれだけ励みになったことかわかりません。この場をお借りして改めてお礼申し上げます。
    ありがとうございました!


    P.S シュライバーの語源に関する考察、実に興味深いです。修羅場が来るとかカッコイイ! 
    シュライバーの由来に関しては御想像にお任せします。
    ……その方が面白いでしょ? 

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