『玲奈 ―恋を食む影、浴衣の女―』を書き終えました。
物語の中心に置いたのは「呼ばれない名」と「言えない好き」です。柳田國男が語った『年中行事』の亡霊性や、シモーヌ・ヴェイユが書いた「祈りとは注意の最も純粋な形」という思想。それらを恋に置き換えたらどう響くだろうか、という考えから始まった話でした。
執筆中、いちばん楽しかったのはコメディの場面です。玲奈が必死に「これは研究活動だ」と言い張りながらも、内心は花火のように爆発してしまう。あの矛盾を描く時、私は自分が学生時代に味わった拙い恋心や、大学で机に並んだ分厚い全集を思い出していました。堅い言葉を並べれば並べるほど、内心の赤面が際立ちます。
逆に胸を締めつけられたのは、浴衣幽霊が「呼ばれなかった名」の象徴として立ち現れる場面です。戦後の焼け跡に残された下駄、幻の恋人を待つ少女。その姿を書く時、ポーの詩にある「夢の夢」を思い出しました。
私は 手に
黄金の砂粒をにぎりしめている――
なんとわずかな砂! ――しかもしれは
私が泣いているうちに――泣いているうちに、
指の間から みるみる海にこぼれていく!
ああ 神様! もっとしっかりと
この砂をにぎりしめていることはできないものでしょうか?
――エドガー・アラン・ポー『詩と持論』(創元推理文庫)
名を呼ばれぬまま残された魂は、存在を確定できない。
その切なさこそが、この物語の核になったのだと思います。
私は幽霊を信じてはいません。ただ、静寂を恐れています。呼びかけても返事がない、そこに漂う沈黙こそが怪異の正体だと感じます。浴衣幽霊もまた、羨望と沈黙に絡め取られた影でした。けれど最後に玲奈が「好き」と声にしたとき、沈黙はわうずかに破れました。たとえ稚拙で震える声でも、呼ぶことが祓いになる。その瞬間を書けたのは幸福でした。
書き終えて振り返ると、これは怪談であると同時に、私自身の「未だ言えなかった言葉」への供養でもありました。青春の夜に言えなかった「好き」や、講義室で飲み込んだ質問や、誰にも届かないまま消えた冗談。そうした小さな声の亡霊を、物語という場でようやく弔った気がします。
ヴェイユは「注意こそが愛」と言いました。ならば私は、物語に向ける注意の中に愛を置くしかない。幽霊も恋も、同じ残響として。
それが今回の執筆で、私がいちばん強く噛みしめたことでした。