「……兄さん、今いい?」
休日の午後、凛が突然俺の部屋をノックしてきた。
「うん、いいよ」
俺がそう言うと、蝶番の鳴る音とともに凛が部屋に入ってくる。
白のロングTシャツに、ひざ丈のスウェットショートパンツ。少し色っぽさも感じさせる私服に俺はまだ慣れない。
「兄さん、今忙しい?」
「いや、大丈夫だよ。頼み事かなにか?」
凛は俯きながらロングTシャツの裾をつまみながら、ちょっと恥ずかしそうに言った。
「一緒にストレッチ、しよ?」
ストレッチ……。何故、という疑問は置いておいて、別に断る理由もないので頷いた。
「じゃあ、まずは兄さんからね。そこに座って」
「うん」
俺は地べたに座る。
「じゃあ、いくよ…………えいっ」
凛が俺の背中を押してきた。
……………すごく弱い。赤ちゃんみたいだ。
「もう少し強くてもいいよ」
「むっ、兄さん言ったなあっ……えいっ」
………うん、猫の前脚蹴りくらい。凛って運動は出来るけど力は弱い方だったんだな。
そう思うと、自然と笑いが溢れた。
「な、兄さんなんで笑ってるの?」
凛は頬を膨らませて怒った様子。その時も背中を押しているが、全然効かない。
「ごめん、凛が可愛いなって……」
「――――っ!?」
背中から凛の両手が離れた。後ろを振り返ろうとすると「だめっ」と制止された。
その声は、少しだけ震えていた。
「凛、どうしたの?」
「……………兄さんずるい」
「え?」
「な、なんでもないよ…………さ、さあ続きやろ?」
またストレッチを開始する俺。そして心もとないサポーターの凛。
「凛、本当に力いれてる?」
「むーっ、いれてるもん。そんなこと言っちゃう兄さんにはお仕置きが必要」
そう言った凛。何をするのかと思っていた俺に、予想外の柔らかさが襲いかかった。
「ううっ、凛!?」
突然、凛が俺の背中に全体重を預けてきたのだ。すると必然的に触れる、というか押し付けられる二つの柔らかいもの。
「兄さん、どう?」
目の前に艷やかな髪の毛が垂れてきたと思えば、耳元で凛がささやく。
「ちょっ、凛、危ないよ………!」
「全然危なくないもん。これで兄さんも柔らかくなれるねっ」
………別の意味で柔らかいのが当たってるんですよっ………!!
俺はなんとか窮《天》地《国》を脱出し、息と心臓を落ち着かせる。ん、今天国って?
「ふふっ、兄さん顔真っ赤だけどどうしたの?」
「ぐっ………」
凛は床に手をついて四つん這いになりながら、こちらを向いて笑みを浮かべている。
………駄目だ。このままでは勘違いしてしまう。俺と凛はただの義妹で、そういう関係になってはいけないのだ。
凛は男子のことを毛嫌いしている。俺は義《ぎ》兄《けい》だから、それで俺のことを気にかけてくれているだけ。
「んんっ、兄さん何かよくないこと考えてる気がする」
いきなり凛が俺の顔を覗いてき――――
「―――――っ!?」
俺は反射的に顔を背ける。
凛は突然の俺の行動に首を傾げた。
「……………から」
「ん?」
「………見えちゃう、から」
俺はボソボソと呟いた。
凛は数秒ぼーっと考えてから
「―――――っ!!」
ロングTシャツの胸元を掴んだ。
頬は真っ赤に染まり、唇をぎゅっと結びながら少し下を向いている。
「み、見てはいないから!見えちゃうってことはまだ見ていないってことだから!」
某小さい泉の政治家のような構文のような言い訳のような事実を述べる俺。慌てすぎてうまく口が回らなかった。
「ほんと………?」
凛は胸元を掴んだまま、上目遣いで聞いてきた。
「本当だよ、本当に見てないから」
「………そう」
凛は、安堵と不満が混じり合ったような表情で数秒俺を見つめると、くるっと後ろを向いた。
「じゃあ、今度は兄さんが私の背中押して」
「あ、うん」
俺を信じてくれた凛にホッとしながら、俺は凛の背中を押…………していいのか!?
あの神《かぐ》楽《ら》 凛《りん》の背中を俺の手なんかで押していいのだろうか。
俺がうだうだと迷っていると、凛が振り向いた。
「兄さん、まだ?」
「うん、ごめん」
俺は意を決して凛の背中を軽く押す。
すると、思いのほか前に倒れた。凛、こんなに柔らかかったのか。ストレッチする必要なんてないのでは?
「凛、すごいね。床におでこつくなんて」
「えへへ、実は兄さんに褒められたくて少し前からストレッチしてたの」
「………そう、なんだ」
しばらくすると
「んっ………ありがとう、兄さん。もういいよ」
凛の背中から手を離すと、凛は腕でおでこを拭う。
「ストレッチって、意外と汗かくね」
「そうだね」
「兄さん、結構硬かった」
「うっ………これからは毎日やろうかな」
「じゃあ私、毎日押しにいくよ」
「………それは勘弁してください」