先ほど、ナツガタリ26の短歌賞1首部門に投稿しました!それについてちょっと解説を。
ワタクシ、大学時代、英語学科という場所で英文学を学び、特に心を鷲掴みにされたのが1950年代アメリカの「ビート・ジェネレーション(ビートニクス)」の詩人たちです。ゼミも当然のようにアメリカ現代詩のゼミに入り、ジャック・ケルアック、ゲイリー・スナイダー、ウィリアム・バロウズ、チャールズ・ブコウスキーなどの代表的なビートニクスを始め、リチャード・ブローティガンやエズラ・パウンドなど多くのアメリカ作家に傾倒していきました。
ビートニクスたち、特にケルアックやゲイリー・スナイダーらは仏教や禅を深く学び、その「今この瞬間」を肯定する精神を詩に取り入れ、日本の俳句や短歌に強く影響を受けた、アメリカンハイクやアメリカンセンテンスなるものを発明していきました。そこには、即興性とジャズ感覚を取り入れたジャズのインプロヴィゼーション的な一瞬のひらめきを推敲せずにそのまま定着させるキラキラする作品が沢山あります。
いやいや、やばい(笑)
ビートやアメリカ文学について語るとつい夢中になり問わず語りの永遠なるマシンガントークになっちまいます、すみません(笑)
ということで、ビートニクス的な瞬間を捉えるような短歌をここでは書き連ねていきたいなと、
思った次第で、、、
と、まあ、日本由来の俳句の精神を輸入したアメリカンハイクに再度inspiredされ、また日本の短歌に落とし込むなんて何なんだか面白いし(笑)
●ビートニクスが残した「ハイク」の作品例
「一千マイルもヒッチハイクして 君にワインを運んだよ」(ジャック・ケルアック)
ビートニクの真骨頂である放浪(ロード)の果ての、ロマンチックで少し投げやりな愛が3行(日本語訳では1行)に凝縮されています。
「湿っぽくてマッチも擦れない まるで水槽に住んでるみたい」(ジャック・ケルアック)
都会の安アパートでの貧窮や、行き詰まった空気感を、言葉のスケッチのように切り取っています。
「列車のトンネルが暗すぎて書けない 『男どもは無知だ』と」(ジャック・ケルアック)ガタゴトと走る大陸横断列車のなかで、ノートを走らせるケルアックの姿がありありと浮かびます。
「無駄だ、無駄だ、海に降りそそぐ大雨」(ジャック・ケルアック)
松尾芭蕉の「暑き日を海に入れたり最上川」へのオマージュとも言われる句です。大自然の圧倒的な営みの前での人間の無力さ、無意味さをニヒリスティックに、かつ美しく表現しています。
「川の中の巨岩は決して動かない 水はいつも一緒に落ちていくのに」(ゲイリー・スナイダー)
山を愛したスナイダーらしい、大自然の「静」と「動」を一瞬で見事に捉えた名作です。
「三日月、夕暮れ時にアンカラへと向かうバスの中で少女たちがおしゃべりをしている」(アレン・ギンズバーグ)
旅の途中のふとした一瞬。映画のワンシーンのように鮮明なビジュアルが、1本の文章から浮かび上がります。